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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

原発さえなければ 2(3/3ページ)

2012年2月23日付 中外日報

長谷川さんは乳牛50頭を飼っていた酪農家だ。35年経営を続け、調理師だった長男が震災の前に「おれもベコ(牛)やる」と打ち明けた。うれしくて牛舎を増築したばかりだった。

原発事故で一帯の牛乳は出荷停止になった。だがホルスタインは搾乳しないと乳房炎になる。毎日、大量に乳を搾ってはタンク車で捨てに行った。温かい原乳が泥に混ざる。それが3カ月も続いた。

村の酪農家はどこも同じ。餌代がかさむのに収入はゼロだ。4月末に集まり、やむなく全員が事実上の「廃業」を決めた。だが、東京電力に賠償交渉するため「休止」という言葉を選んだ。「安全になったらまたやろう」。リーダーの長谷川さんの震える声に男たちは皆泣いていた。

同じ日の午後、東電副社長が村に「謝罪」に訪れた。体育館で1500人を前に高い壇上から頭を下げる姿に、長谷川さんはマイクを手にした。「村から酪農がなくなる。その気持が分かるか」

しかし、牛の移動制限措置が追い打ちをかけた。避難先には連れて行けない。放置もできず、「処分しかない」と出荷が始まった。

「情けねがったなあ。家族同然だに」。各戸で、身をよじって抵抗する牛を次々トラックに積んだ。奥さんたちは走り出す車を追い掛けてすがり付き、「ごめんな、ごめんな」とボディーをたたいて泣き叫んだ。一体、誰が悪いのか。

人々が村外に移転したころになって、農家の陳情などで家畜の移動制限が解除された。「殺さずに済むんだ」。長谷川さんらは涙を拭った。だが、全ての牛を譲り渡し終えた直後、恐れていた最悪の出来事が起きた。

(北村敏泰)