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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

原発さえなければ 4(2/3ページ)

2012年2月28日付 中外日報

浪江を含む原発から20キロ圏内は避難指示、その後には強制を伴う警戒区域に指定され、多くの住民が故郷を追われた。洗濯物もそのままの家。学校には学用品が散乱したまま。移転先での生活難を心配してとどまった人はわずかな食糧で1カ月近く食いつなぎ、助けを求めて電話した遠方の親戚の通報で自衛隊員が連れ出しに来た。

5キロ圏内にある病院の寝たきり患者は、救出されたが医師も病院職員も同行せず、搬送先や途中の車の中で次々絶命した。14日に3号機、翌日には4号機も爆発し、医師らや警察官も自衛隊も退避した院内ではさらに90人が一時取り残された。亡くなった患者は数十人に上ったと報道された。(毎日新聞)

青田住職は悩み続けた。朝夕の新聞、テレビ、携帯電話の情報サイトに食い入る。町内でも津波で多くの犠牲者が出、被害も甚大だ。なお近くに残って地獄を味わう人々もいる。

「僧侶なのに、自分だけ遠くに逃げていていいのか」。床に就きながら煩悶し、境内の様子を夢に見た。胸が張り裂けそうになり、報道される死者名簿に檀家の名前を見つけて居ても立ってもいられなくなった。

4月6日、福島市内に戻った。再交付を受けた通帳で預金を引き出し、家を借りて日用品をそろえた。立ち入り禁止になる前の同月15日、妻と車2台で寺に戻り檀家名簿と過去帳、法衣や香炉など小さな法具を積んだ。

高さ60センチある大日如来像が地震で本堂の床に転がっていた。「連れて行けってことだな、とお迎えしました」。借家の居間の東側、浪江の方角の壁際でテーブルに白布をかけて祭壇にした。