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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

原発さえなければ 5(3/3ページ)

2012年3月1日付 中外日報

しかし、亡くなった人々にようやくのことで祈ることができた町民らが少しはほっとしたのを見て、住職は納得した。この状況は新聞で全国に報道され、海外にも伝えられた。その有り様に、被災者の苦悩とそれを受け止めようとする宗教者の存在意義を認識した人々も多かっただろう。

被災地の別の場所でも聞かれたのと同じ言葉を青田住職は繰り返した。「供養は形じゃない。困難な時だからこそ、どんなやり方でもお勤めすることが大事です」

それはやはり普段からの檀家との付き合い、つながりから来る気持だ。大聖寺は開基が平安初期、堂宇創建は元禄年間という長い伝統を持つ。以前から「お茶っこ上がって行け」と、人が常に集まる社交場のような寺だった。孫連れの高齢者も若者も来ていた。

人々は先祖が眠る墓、それがある故郷への思い入れが強い。その後の一時帰宅のたびに、皆が墓地を見に行った。「先祖の所へ入りたい」と懇願する。請戸地区ではその墓も津波で流されている。町内の共同墓地に、帰宅時に駆け込んで納骨する人もいた。しかし「もう一生戻れんのじゃないか」との不安は付きまとう。

それは大聖寺も同様だ。青田住職は11月に「事業者枠」で一時帰宅した。本堂の壁は地震で崩れ石塔も倒れている。本尊に花を供えて勤行をし、4時間もとどまった。帰り際、万感の思いを込めて鐘を撞いた。

原発事故で半減期が数十年、数万年にも及ぶ放射性物質が県内に大量に降り注いだ。住み慣れた土地を追われた県民は15万人を超え、うち6万人以上が全国に散らばった。

(北村敏泰)