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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

原発さえなければ 8(1/3ページ)

2012年3月15日付 中外日報
住職も避難させられ、訪れる檀家もいなくなった善仁寺の境内は草が生い茂っていた(福島県飯舘村で)
訪れる檀家もいなくなった善仁寺の境内は草が生い茂っていた

地域に尽くすのが使命

絆太い北陸門徒の子孫

原発事故で転出を強いられ檀家や氏子との長年の絆を断たれた寺社は非常に多い。計画的避難区域となった福島県飯舘村の話に戻り、浄土真宗本願寺派善仁寺の杉岡誠順住職(35)の動きを追う。

村内の寺から35キロも離れた桑折町まで避難し、杉岡さんが産業振興課主査として勤務する村役場も福島市内に移った。

地震の日、出張先から役場に戻ると全村が停電、断水、電話も不通で何の情報も入らない。夜になって津波で被災した沿岸部から逃れてきた車で、道路が村始まって以来の大渋滞になった。聞くと「原発が危ないから逃げろと言われた」。

ライフライン復旧や避難者の世話でほとんど不眠不休の3日の後、14日に回復したテレビのニュースで事態を知ったが、45キロ以上離れているから大丈夫と思っていた。県に派遣された防護服姿の技術者が役場で線量測定を始めた。

杉岡さんも東京工業大大学院で基礎物理を専攻し放射線に詳しい。自前で計測すると、最初は毎時0・09マイクロシーベルトと低かったのが翌日午後に15マイクロ、夜には44・7マイクロと500倍にも跳ね上がった。3号機の水素爆発だった。「あり得ない……」

周囲も一般村民も放射能のことは知らない。「パニックになるから言うな」と止められたが、パソコン画面にデータを示して人目につく場所に置いた。しかし、その日は雨から雪に変わり、屋外で作業し続けた職員や住民らは降り注ぐ放射能を浴びることになった。