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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

原発さえなければ 8(2/3ページ)

2012年3月15日付 中外日報

この事故で東京電力や国、行政の情報隠し、広報の不十分さに被災者たちは翻弄された。警戒区域の浪江町民らは北西方面に避難を指示されたが、「結果的に放射性物質が飛散した方向と重なっていた……政府から予測データが公表されず」と、12月に出た国の事故調査・検証委員会の中間報告は厳しく批判した。

「同心円」の外とされた飯舘村民も、そこへ逃げた人々も同じだ。当初「屋内退避」指示が出た南相馬市では被ばくを恐れて外部から救援物資もガソリンや医薬品もボランティアも入らず、市民が「籠城で兵糧攻め」になる状態に市長が「間違いだ!」と声を上げた。

災害対策本部付けになった杉岡さんは4月下旬まで、村民にガソリン券を配っては自主避難を促した。だが「小さい子連れで逃げられん。どうしたらいいのか」と居残る多くの住民から相談が相次ぎ、心を痛めた。

そして区域指定、全村避難が決まり、大部分の村民が5月末までに転出する。役場も移ったが、杉岡さんは「職員のくせに」と怒られながらも7月半ばまで村内の自坊にとどまった。

それは僧侶としての気持からだった。檀家がまだ避難先で落ち着いていない、そして余震も続く本堂から持ち出した本尊阿弥陀如来像を、アパートではなくきちんとした戸建ての家を見つけて安置し、檀家に参ってもらいたかったからだ。

「ご本尊様をずっと車に積んだままで申し訳なかったです。お檀家も、仮設住宅や避難先にはお仏壇も置けない。遠いですが、何かの折に集まっていただく場が不可欠です。こんな大変な時だからこそ」