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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

原発さえなければ 8(3/3ページ)

2012年3月15日付 中外日報

生家は神奈川だが、高校2年で得度する前から、いつも人々が集まってくる田舎の同寺先代住職の祖父の姿に憧れていた。檀家は130軒。寺だけでできることは限られ、仕事の少ない村なので勉強して公務員になり多くの村人のために働こうと大学に入る。

「勉強はきちんと」との祖父の遺言で博士課程に進み、東京から寺の葬儀や法事に通った。「そんな私を温かく受け入れ、支えてくださる皆さんに心から感謝していました」。だから「布施はお返しする」、つまり恩に報いる、心が集う場としての寺で地域に尽くすのが使命だと考えてきた。

それには長い歴史の背景がある。飯舘を含む相馬地方は、ちょうど200年前の天明の大飢饉で村が疲弊し人口が激減した。そこへ越中富山地方から復興のために7千人近い農民が入植し、その多くが「北陸門徒」と呼ばれる熱心な浄土真宗の檀家だった。そこで真宗寺院が数多く建てられ、善仁寺をはじめとする相馬の門徒たちは、その移民の子孫なのだ。

移住してきた人々は荒れ地を開墾し、身を寄せ合うようにして協力して生き、固い信仰を守り続けてきた。そんな伝統もあって、本願寺派の10カ寺で構成する「相馬組」は団結が強い。

そしてこの震災でも北陸との太い絆は生かされ、例えば富山・高岡教区の「相馬に富山米を送ろう!」プロジェクトにより11月に2トントラックいっぱいの安全な支援米がもたらされた。その返礼も兼ね杉岡さんは富山で福島の惨状を訴えた。

当面善仁寺に戻るめどはない。檀家も散り散りだ。それは身を引き裂かれるほどつらい。だが最近、こうも思えるようになった。「はるか昔、遠い所から来てここに礎を築き、並大抵ではない苦労をされてきたご先祖様たちのことを思えば、場所に固執し過ぎてもいけないのではないか」と。

「どこにいても教えは全うできるし、すべきです。真宗は全てを包み込み、あるがままに見て考える。避難しながらも、強く生きるという教え、光を私たちは頂いているのです」

(北村敏泰)