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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

原発さえなければ 10(2/3ページ)

2012年3月22日付 中外日報

「苦しい思いをして亡くなった方をせめて最後はきちんと供養したい」との思いで、宗派に関係なく、また身元不明でもだ。ガソリン不足の中、業者に頼んで調達し日に6回も火葬場に通った。参列者が5人もいれば多い方、遺族も避難先から来られず葬儀社員だけのこともある。般若心経、理趣経など通常の真言宗の葬儀では一刻も早い成仏を願って速めに読む。

火葬場でも5分そこそこだが、石川住職は「お大師様が昔なぜあんな大変な修行をしたのかを考えると、短いお経くらいで成仏するとはおこがましいかもしれません。でも、そこに仏の道があること、これから守ってくれるものがあるんだよということを僧侶は示すことができるし、しなければならない。それが読経です」と語る。

炉3基で家族が同時に焼かれることもあり子供の小さな棺もあった。「苦しかったね、だけど仏様のもとへ前に進みなさい」という気持だ。

読経して礼を言われることはまずなかった。「何を余計なことをこの坊主、と露骨に態度で示す方もおられますが、続けました。皆さん、あまりに悲惨だから死が受け入れ難いのです」。しかし、読経は遺族のためではなく、あくまで故人のためというのが信念だ。

つらい亡くなり方だからこそ、いつかは遺族もそれを分かってくれると思う。中には自分は新宗教の信者だが亡き人のために頼む家族もいた。終わると頭を下げる人も。だが「して良かったではなく、すべきことをした。これができなけりゃ平時に葬儀や読経することの意味が分からなくなる」。

この固い信念は若いころの難行で身に付いた。弘法大師は「観誦すれば無明を除く」と言っている。「例えば『石が生きている』と言われるのですが、なぜ?と思って求聞持法を修しました」

虚空蔵菩薩の真言を100万遍、一心に唱えるもので、祖師も若き日に成就したことが『三教指帰』に述べられている。修行道場にこもり、1日に2万遍を50日間唱えると、「仏様に本当に会えた」という。確かに存在して導いてくれると分かり、読経に対する迷いはなくなった。