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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支援の広がり 3(2/3ページ)

2012年4月12日付 中外日報

3月11日、津波は松の大木と隣家を巻き込んで本堂や庫裡を突き抜け、屋根と柱だけが残った。法具も過去帳も全て流失。200基余りの墓も100メートル近く流され遺骨も散乱した。たまたま隣町に出ていて、水が引いた5日後に戻ることができた住職は絶望で立ちすくんだ。

町によって一帯は立ち入り制限区域となり、檀家も住居は壊滅、50人もが犠牲になった。避難所から集まった10人の総代役員たちが「こりゃあ無理じゃ」「諦めるしかない」と相談し、寺を取り壊すことを決めた。住職も従わざるを得ない。

だが心残りで、片付けをしているうちに、自分に無性に腹が立ってきた。「おれは一体、何をしているんだ。檀家が一番悲しい時によりどころとなれないなら、何のための寺だ」「柱が残っているというのは、残せっていうこと。住めなくてもいい、町がどうした」

自棄になったのではない。この寺を100年以上も守り続けてきたご先祖に恥ずかしい、檀家も本当は求めているはずだという信念だった。家族も家も失い、心の支えである親の墓を見に来て、「だめだあ」と肩を落とすお年寄りの姿に胸が痛んだ。泥かきでも墓建てでも何でもやるのが当たり前、「やらなけりゃ坊さんじゃない。できなければ土下座して住職を辞める覚悟をしないと」。

力仕事は慣れていた。以前から寺には資金がなく、自分で屋根の雨漏り修理や土木作業もしていた。避難先の父親の寺から通い、頻繁にある葬儀の合間を縫って一人で瓦礫を一輪車で運び出し、材木を切って伽藍を補強した。手のマメが何度もつぶれる。3月末には76キロあった体重が15キロも減り、ふらふらになった。

「よくあんなことができた。気力と思いだけでした」と住職。「寺を残す」とは言葉に出さず黙っていた。だが、時々様子を見に来た役員は「墓地の方も、直さんといかんなあ」と手を貸す。6月に入って、いつの間にか再建が決まっていた。