ニュース画像
江川会長を導師に営まれた世界平和祈願法要(大般若転読)
主な連載 過去の連載
エンディングへの備え
時代を生きる 宗教を語る
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版
トップ> いのち寄り添うリスト> 支援の広がり 3
いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支援の広がり 3(3/3ページ)

2012年4月12日付 中外日報

普門寺は大正時代から長く無住で、数少ない檀家だけで支えてきた。伽藍も荒れ果て、坊さんが嘱望されていた時、20歳の坂野住職が請われて入山した。28年前だ。100軒に満たない檀家が、墓地を造成するにつれ増えた。地域の人が集まるいろんな催しもしたかったが、「とても財政的にそんな余裕はなく、もっぱら法務でした」。

だが檀家が檀家を呼び250軒余りになっていた。寺を守る意識、結束も強い。「だから、ここで逃げるなんて考えられない。恥ずべきことでした」と住職は言う。

四半世紀かけて徐々に本堂などを整備し、最後に住職一家が暮らす庫裡をと考えていた時の震災だったが、それにしても行政の復興計画次第では移転も迫られかねないにもかかわらず、なぜ今の場所でなければならないのか。坂野住職は「この場所こそが大事なんです。多くの先祖がおられるからです」と答えた。

他の被災地でも同じ思いを聞いた。「昔は土葬なので文字通りここに眠っている。浜で砂地だからお骨がそのまま残り、改葬時に実際にお目にかかります」。それは遺骨に表象される先祖とのいのちのつながりへのこだわりだ。それがあるから私たちが生きている。そして生き残ったから生き続ける。そう子供らに教える糧でもあるという。

町から移転せよと言われたら「20メートルほど掘って土ごと持っていくぞという気持です」。もし檀家が集団移転しても、墓の上に道路ができたりしたら耐えられない。住職は、流出した遺骨とそれを含む一帯の土砂をかき集め境内の奥に丘を築いた。その上に祀った観音像が復旧活動を見守る。

ここまで執念を燃やし、寺や地域の再建に打ち込む姿に、檀家以外にも共感の輪が広がった。立ち入り制限を調整して、ボランティアが自主的に集まってくる。

その中に強力な「助っ人」がいた。そしてそのコーディネートで復旧途中の寺が、地区のボランティアセンターになった。人々が集まり、心を一つにする「場」としての寺。その意味が輝き始める。

(北村敏泰)