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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支援の広がり 5(2/3ページ)

2012年4月17日付 中外日報

地域での寺の役割とは、人々が生きていくために必要で、なくてはならないものであるべきだという。寺も宗教も、そのためには敷居が高くてはいけない。「お寺はごみ箱でいいんです。苦しいもの、つらいもの、何でも捨てて明るい顔で帰ってもらえればそれが理想です」とも語る。

僧堂に修行に入った若いころ、周囲を見て幻滅し、「表裏のある坊さんが嫌いで辞めようと思った」。サラリーマンなどを経験し、世間のさまざまな立場の人たちの苦労を身をもって学んだ。だから、親に説得されて寺に戻った時も、そのような人々が喜ぶような生き方をすると誓った。

「お金はあっていいが、いい生活をしてしまえば下げられない。偉くなっては駄目で、坊さんが拝まれてはいけません」。人前に出ると上がるので法話は少なく、お茶を飲んで話し込むことが多い。

こんな土木作業の格好をしていて、「これがうちの和尚さんだ」と檀家に言われるのがうれしい。仏教というものはそんな中で少しずつ広まり、100年後に皆がいいものだと感じるようになればいいと思っている。

今、「おてら災害ボランティアセンター」の事務所になっている庫裡には檀家や住民、足しげく通うコーディネーターの藤本和敏さん(42)らボランティアが頻繁に訪れ、煙突のついたストーブを囲んで笑いも広がる。

一緒に学んでいる、という感覚だ。これが住職の僧侶としての活動だが、「私は説教めいた話はしません。作業をして、笑ってくれた人たちがおり、それが心の糧になっている。皆さんの方がよほど坊さんのようだ。藤本さんも坊さんになったらいい」とほほ笑んだ。

坂野住職はボランティアたちから多くのことを教えられたという。一つは、「布施」という心と行いの姿。そして、「笑顔」の力だった。「皆さんに希望を、と力みながら、私は笑っていなかった。でも周りの人たちから笑顔をもらいました。私が笑わなければ檀家さんも笑えません、それを教わりました」