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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支援の広がり 7(2/3ページ)

2012年4月21日付 中外日報

位牌堂に並べ毎朝懇ろにお勤めをした。2週間かかるDNA鑑定を待つ間、毎日通う30代の女性がいた。やっと母親と確定すると「ごめんね、ごめんね」と骨つぼをいつまでも撫でた。「見つかって良かったね」と副住職も共に涙を拭いた。

4月末になると引き取り手も増え、寺での葬儀が始まった。日に5件。江岸寺の檀家もあり、6月には朝から夕刻まで10件に。1度に2、3人もたびたびで、7月までほぼ毎日続く凄まじさだった。行方不明者を白位牌で送ることもあった。

「本当はいやだ」。いつまでも肉親の死を認めたくない男性は、しかし初七日に来て「やはり少し落ち着いた」と話した。だが、盆を前に親戚から促されても拒否する檀家もいた。大萱生副住職は「いいよ、見つかるまで待ちましょう」と声を掛ける。9月に遺体が見つかり葬儀ができたが、年が明けてもまだの人たちもいる。

「葬儀は亡くなった人を送ることと同時に、生き残った者の心の整理だと如実に感じました。でもそれぞれ家族関係や事情も異なる。その人がどんな不安、苦しみを持っているか、一人一人違うそれをよく聞いて寄り添うってことかな」

副住職は決して大上段に構えない。では、僧侶として供養などの役割と支援活動をどう捉えるか。「これから生きていく者の心構えとして死者供養は当然のことだが、被災者の精神的な支えになっていく使命もあると思う」と短く答えた。

寺が炊き出し基地だった時にも「何か困る事あったら声掛けてけれ」と話し掛け、相談に来る人も多かった。震災後ずっとやってきたように、泣いている人と一緒に泣き、祈っている人と一緒に祈り、来る人とは一緒にお茶を飲んで過ごす。

普通の人々と同じ、ごく当たり前に聞こえることを、大萱生副住職は「凡夫だからですよ」と表現した。「自然災害ですから、神が仏がというようなことではない。でもその中で無力な私たち人間が念仏することで救われる。お念仏を唱えていて、それを実感した。浄土宗の坊さんで良かったなあと」