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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支援の広がり 12(2/3ページ)

2012年5月8日付 中外日報

世の中全体のホームレス化をもたらした「無縁社会」は、人間のいのちのセーフティーネットが外され、かつては人を「助ける」根拠となっていた「血縁・地縁・社縁」の絆が総崩れになった状態だと見抜く。だが、「支えるのに理由、理屈がいるのか?」、そう憤る牧師の目は社会の根本矛盾を見据えている。

「またか」。昨年8月31日、東京・渋谷でライブハウスにガソリンをまき殺人未遂で逮捕された23歳の青年が「誰でもいいから殺して、自分も死刑になりたかった」と供述した報道に、奥田牧師は暗たんとした。

4年前の秋葉原事件も含め、相次ぐ「誰でも」という無差別殺人事件。「身勝手で決して許されない」とする牧師は、だが「異常な者が起こした事件と済ませてはならない。その根底に『叫び』がある」と強調する。

派遣労働からもはじき出され孤立を深めた秋葉原事件の被告もそうだったが、「誰でもよかった」が殺す相手ではなく、話す相手、助けを求める相手だったらどうか。「自己責任」の名の下に社会や国家・行政が個人を安全網から引き剥がし、「勝ち組」との言葉がのさばる経済的価値優先の世の中。

そこでは、非正規雇用が3分の1にもなる若者の就労現場でも、「誰でもいい。別に君でなくても」と簡単に派遣切りが行われる。社会の側が「誰でもいい」と言い続けている。「掛け替えのない自分」は消え、「誰でも」と助けを求める叫びは無視されるか、叫ぶことさえできない。

奥田牧師は、そのような社会で「誰でもいいのだから、こんな私でも、あなたでも助けの手を差し伸べたらいい。そして、互いに『誰でもよくない! 君が必要なんだ』と言えるような関係を築きましょう。被災地でも」と訴える。