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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支援の広がり 12(3/3ページ)

2012年5月8日付 中外日報

「命と生活がまず保障されたら、自分の責任で職探しをする。だが現状は、自己責任を取ろうにも社会の側がその体をなしていない」。この考えが、奥田牧師が確たる信仰に基づいてそんな社会の変革を目指す、さまざまな地を這う取り組み、行動につながっている。「嘆かわしい」「道徳の衰退だ」などという「世相への論評」とはレベルが全く異なっている。

キリスト教の信仰は一般に「救済」の概念、自らへの「救いを求める」こととされるが、奥田牧師は「同時に、信仰は応答的倫理の行為です」と言う。「イエスが十字架に架けられたのは、別にわれわれが求めたからではなく神の行い。それにより人間は既に救済されている。では、その救済にどう応えるかというのが信仰です」。そういう意味でキリスト教的信仰はアクティブなのだと。

そして「宗教は単に心の中の問題ではない」と強調する。「人はパンのみに生きるにあらずとは言っているが、『パンは要らない』とは言っていません。人間が社会で生きている以上、その社会が歪んでいたら心も歪むのです」。社会問題や被災地支援への関わりのスタンスは明確だ。目の前で「大きな物語」を聞く思いがした。

その上で「信仰が苦難の除去を目的化する時、苦難だらけの人生の現実を受容できなくなる。本当の自分はこんなではないと、それを手助けするようなご利益宗教であってはなりません」。「ヨハネによる福音書」の「光は暗闇の中で輝いている」は、闇が消えるのではなく、闇の中に光が混在してあるということだとする。

「信仰には『あなたはそのままでいい』という受容の面と、『そのままでいいのか』という問いの面とがあります」。同様に支える側にも「愛するばかりではなく、愛される態度、能力も必要です」と、例えば牧師も弱さに正直にならねばならないと考えている。

「神のことが分かったから伝えるというのではなく求道者。私がそもそも牧師になったのは何かを悟ったわけではなく、探す人生を選んだだけです。神様から『せえ』と言われたことを、聖書を読んでやっているのです」。その「探し物」は何なのか。

(北村敏泰)