ニュース画像
倒壊した浄土真宗本願寺派法城寺の鐘突き堂(むかわ町)
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
時代を生きる 宗教を語る
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版
トップ> いのち寄り添うリスト> 駆け付けた人々 2
いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

駆け付けた人々 2(2/3ページ)

2012年5月24日付 中外日報

被災地に張り付いた住職は「生半可なケアや形式張った傾聴は通じない」と痛感していた。「何かをし、共有してずっとそこにいる。そのうちにやっと、ぽろぽろと話が出てくるのです」

「すり抜けて行っちゃったんです。しっかり抱き留めていたら……」。腕の中にいた3歳のわが子を津波に奪われた30代の母親は、瓦礫の前でうつろな目を海に向け、抑揚のない声で語った。

「親父の『助けてくれえ』という叫びが耳に残ってる。波にのまれる瞬間、目が合った。でも助けられなかった」。数メートルの差で生死を分けた50代の男性が、船が打ち上がりヘドロの腐臭が漂う田んぼ道で「一生忘れねえ」と言った。

石巻の救援物資配給所に毎日現れては一日過ごしていく40代の男性は「必死で逃げて、まず助からねえって思った。随分たって、電柱にしがみついていた。あんとき死にゃよかった。そしたら今、こんな悲しい目に遭わねえで済んだのに」。

五感が凍り付くパニックに引きずり込まれ、底なしの「死の淵」を文字通りその目で見た人々の中には、悲・痛・苦が澱のように積み重なっている。累々たる遺体を前にしたサバイバーズ・ギルト(生き残った者の罪悪感)。「広がる苦海の果てに浄土は見えません。誰がこの苦海を浄土に変えるのでしょう」。高橋住職は、宗教者の果たすべき責務をずっと問い続ける。

5月になって医療チームで同市入釜谷に入った。北上川の河北、あの大川小学校から数百メートル南にある入釜谷地区は、津波で押し流された家屋や車などが周囲の山で辛うじて止まった所だ。

「屋根に乗って流されてきた人を皆で助けた。でも、死んだ人もいっぱい流されてきたんだよ」「飼ってた鶏1万8千羽は全部死んだ」。だが沿岸部から命からがら逃げてきた人々を受け入れ、備蓄の食糧を分け合って生き延びた。住民からそんな話を聞いた。