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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

駆け付けた人々 2(3/3ページ)

2012年5月24日付 中外日報

「メメント・モリ(死を想え)」。高橋住職の脳裏にこの言葉が甦る。中世ヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行して2400万人という死者が出た際に語られた。

人々は大量の死を見、自分にも訪れることを実感した。住職が以前から仏教が人間の生と死に関わることを論じる際に引用していたこの言葉が今、現実のものとなっている。「そこから来る人々の苦悩への対応こそが宗教者の最優先課題」と確信する。

だが、宗教者は本当に「心」やスピリチュアルケアの専門家たり得るのか、苦悩が吐き出されるまでの過程を作り出し、辛抱強く待てるのか。

度重なる「ケア」をテーマにしたシンポジウムなどでも疑問が湧き続けた。高橋住職自身、「エイズホスピスや自坊でも多くの死に立ち会い、自分はタフだと思っていたのに、衝撃ははるかに大きかった」と告白する。一時はPTSD(心的外傷後ストレス障害)のような症状が出、東京などに行くと被災地との落差にうつ状態となった。

心底悩みながら走り続ける。そんな中、医療チームと巡回診療する入釜谷の生活センターで「水道がまだで」「風呂は近所にもらい湯してんだ」との愚痴のこぼし合いに加わった。「それじゃ、温泉行こう」。「千人風呂」の経験から、住民たちと連れ立って少し離れた「道の駅」にある大浴場へ行くことに。やはり湯の中でおしゃべりの輪が広がった。

プロセスが大事だ。一つ一つ積み重ね、自分も打ちひしがれながら徹底的に向き合う。「その覚悟はあるのか。寄り添いは、相手ではなく自分の問題なのだと、骨の髄まで染み込んできました」。そのしんどさを乗り越えることが「仏教者としての『発心』につながるのだと思う」という住職は、僧侶としての供養にも重きを置いた。

医療チームをコーディネートして入った福島・南相馬で、体育館の安置所は次々遺体が増えていた。そこへ高橋住職は3月下旬まで毎日通った。

(北村敏泰)