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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

駆け付けた人々 4(3/3ページ)

2012年5月31日付 中外日報

その「理論付け」は必須で、自分がなぜ仏教者なのか常に対話していなければならないが、あえて高らかに宣言するものではないと考える。「僕は教義があるからこそ動いていける。胸の中に阿弥陀さんがいて、背中を押されている」。していることが惰性に流れそうになると、自分の内の経典を読み込み、対話するという。

如是我聞。「声は耳にある。つまり、こちらがよく聞くからこそ理解ができるし、それは行いを伴わないと駄目です」。若い頃は分からなかったが、今は耳を澄ませば阿弥陀如来が「こうしなさい」と言うのが聞こえ、経典がリアリティーを持って「聞こえてくる」。

川浪さんを派遣した同ネットワーク代表、東八幡キリスト教会の奥田知志牧師(48)が「神様が『せぇ』と言う」と話したのと同じだ。「奥田さんも阿弥陀さん、菩薩です」。川浪さんの釜ケ崎での経験と宗教者としての姿勢が奥田牧師に見込まれた。

まだ復興ではなく生活再建だと痛感する。物資を届けた宮城県女川町の村落で、手芸品を作る「おばちゃんたち」と知り合い物産フェアでの販売につなげた。そんな中で「海が怖い、憎い」「原発事故の風評で海産物が売れない」と困窮の訴えが発せられる。

「いきなり『心のケアいりませんか』じゃなくて、暮らしを支え、そこでぽろっと漏れるしんどさを聞き取ること」。川浪さんも口にするこの「丸ごとケア」は、今回の震災支援の動きの中で多くの現場でその重要性が語られた。

10回以上も通えば「お茶飲んでいけ」と声が掛かる。寒さに向かう季節、「コタツ布団いかがですか?」と尋ねると、「上がってけ」の後から愚痴が口をついて出てくる。川浪さんはケースによっては役所や医療者につなぎ、そして押し付けではなく、そこで求められれば、僧侶の役目として仏壇に読経をすることもあった。

(北村敏泰)