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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

駆け付けた人々 5(2/3ページ)

2012年6月5日付 中外日報

「僕は孤立した人に目が向いてしまうのです」と言う川浪さんは、常に「弱くされた人々」の側にいる。「利他」という言葉ではなく行動自体に表れたそのスタンスそのものが宗教者らしさのように見える。

同ネットワークの奥田知志牧師や長野・神宮寺の高橋卓志住職をはじめ多くの支援者とも共通する、川浪さんのこの姿勢が揺るぎないものになったのは、大阪・釜ケ崎での活動を通じてだった。

川浪さんはこの地区の近くで日雇い労働者の父の家に生まれた。28歳で得度して寺の役僧になったが、その後も職を転々としながら仏教とは何かを考え続けてきた。8年前に福祉団体の仕事で野宿者と接するようになり釜ケ崎に「戻った」。

炊き出しなどさまざまな支援活動も経て4年前から本格的に関わり始めたのは、物的援助よりも困り事の相談や孤独な人々の見守り、葬送などの支えだ。

それは、共に地域に暮らし親しみを込めて「おっちゃん」と呼ぶ労働者たちが高齢化しても「わしらどうせ野垂れ死にや。そうでなくても無縁さんで、誰も線香も上げてくれへん」と言う、その深い悲しみに接したからだ。大谷派に籍があるが自分の寺はなく、一昨年末に仲間とNPO「支縁のまちサンガ大阪」を立ち上げた。なぜ「支縁」か。

四国から流れてきた男性が川浪さんに向かって「兄ちゃん髪の毛あるから真宗やろ。わしとこはお大師さんや」と自分の葬儀を気に掛ける。「お国訛りのような、最後の心のよりどころです。その人を心を込めて供養しようと思うなら、その供養が生きている時の生活とつながっていなければならない」

だから葬送支援と悩みを聞いたり一緒に買い物に行ったりする生活支援とは一体だと思う。それは「助けてやる」のではなく「この飯、わしより困ってる人にあげて」と言うようなおっちゃんたちから学び、縁を結んで共に生きることだ。