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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

駆け付けた人々 5(3/3ページ)

2012年6月5日付 中外日報

無縁仏になるような人々にきちんと葬式をし、お骨を預かるなり、別れた家族の元や故郷に返してあげる、そのような儀礼の意義は非常に大きい。「と同時に、そのような安心を下支えし、生きている人に寄り添う、それこそが仏教の務めです」と川浪さんはきっぱり言う。生前には故人と縁もなく見も知らない僧侶が来て葬式をするような現状が残念だ。

東北の被災地でも全く同様のことが言える。「外部の坊さんが供養に行っても、やはり自分の菩提寺の和尚に弔ってほしいと願われます」

犠牲者を葬儀によってきちんと送り、遺骨を納めることは残された遺族が生きることを支える意味でもやはり大変重要だ。一方で、被災地の葬式のために幕を張ったり、避難生活をしている人に喪服を用意したりする支えも大事にしたい。

自分より他の困った人を思いやる人々から学ぶのも同じ。年老いたシーズー犬を飼っているので避難所に入れない娘と父母の家族がいた。ならば私たちもと近所の3家族が計11人で、津波を免れた水産加工場で一緒に暮らしていた。川浪さんはこの犬のために乳ボーロを持って行った。

行く先で印象に残ることがあった。壊滅した墓地で辛うじて残った墓石に一心に手を合わせる人がいる。小さな祠に若い娘2人が参っていた。「こんな大変な時に……」

釜ケ崎で路上生活のおっちゃんが道端の地蔵に頭を下げていた光景が重なった。「祈りという行いの重さに気付かされた。それに宗教者は自信を持ってきちんと対応すべきですね」

葬送支援も生活支援も、釜ケ崎も被災地も、川浪さんにとっては全て「仏教」の糸でつながっている。供養に表現される人と人との心の絆、それを支えるためにも生活を支えるのが仏教者の役割だと思っている。

もともと単身で月に数日しか大阪に帰らない生活だったが、昨年8月の盆には大事にしている釜ケ崎の夏祭りの法要のために戻った。

(北村敏泰)