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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

駆け付けた人々 7(2/3ページ)

2012年6月9日付 中外日報

「善行を説き、社会から目を背けて天国で救われると説くのは欺瞞、加害です」と指摘は鋭いが、短いたばこをくゆらせながら話す眼鏡の奥の目は優しい。「聖書のメッセージの本質をつかむこと」を強調する本田神父は、ギリシャ語などの原典を自ら翻訳し、教えを明解に説く。

他者に優しくという教えで常に引用される「ルカによる福音書」第10章の逸話。強盗に襲われて倒れている旅人を、通り掛かった「善きサマリア人」がわざわざ助け、世話をする。

だが神父は、「そこでイエスは言われた。『行って、あなたも同じようにしなさい』」とあるその文末に重きを置く。「隣人愛とはつまり、助けを必要としている人の所へあなたが『行って』隣人になること。決して、じっとあぐらをかいて身近な隣人にだけ親切にすることじゃありません」と言う。

被災地で宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が共感を呼んでいる。法華信仰者でもあった賢治のその詩の最も重要な言葉は「行ッテ看病シテヤリ」などと繰り返される「行ッテ」だと、支援活動に赴いた僧侶が語った。待っているのではなく、こちらから「行って」寄り添うこと。

「善きサマリア人」の逸話について、もし旅人が強盗に襲われているその最中に通り掛かったらどうするか。一緒に強盗と闘って助けるのか、それとも事が済んでから「大変だったね」と手を差し伸べるのか。釜ケ崎のキリスト教徒の労働者がそう語った。

「現状はまさに強盗被害そのものです。目の前の危険な事態に迅速に対応しなければ」と訴える。行政への抗議の座り込みにも参加する神父の姿勢は明らかだ。

いわゆる「布教」を釜ケ崎でしない理由を、本田神父は「キリスト教の本質である人としての在り方を、ここの仲間は既に実践している。行いこそが大事なわけで、言葉で言う前にもう目的は達成されているからです」と説明する。

その行いの意味は例えば、「解放と平和と喜び」を求める神父の祈りではこう表現される。「神様、私たちの苦しみ、寂しさ、不安、悔しさ、怒りを身をもって知っておられる方。私たちに勇気と力を……。仲間を立ち上がらせてくださるあなたこそ本当の神」