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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

駆け付けた人々 10(3/3ページ)

2012年6月19日付 中外日報

中下さんにとって仏教、信仰とは「生きる力を与えてくれる背骨のようなもの」だ。「阿弥陀様に見守られているということが、いろんな方と接して活動する中で本気で信じられ、お念仏が腹に落ちました」

自然に掌が合わさり頭が下がる。ただその仏の「光」を見るためには、まず「闇」を知ること。それが苦に満ちた世間に関わることだと信じる。例えば、諸行無常という教えを原発などエネルギー問題や経済問題に実際に生かす。だが、蛇口から水が漏れていたら手で受けるように、「先に行いがあり理屈は後付け」という。

そのために僧侶は「この人と話してみよう」と感じるような資質を身に付け、引き出しを増やすことが大事だ。被災地でも、当事者同士の問題や話を媒介する第三者になるという。かつてホスピスで末期患者の男性が妻に面と向かって「ありがとう」と言えず、間にいる中下さんに向いて「こいつには感謝しとるんですよ」と語った、そんな経験からだ。

いろんな活動の現場には、数々のNPOや宗教者以外の仲間が多い。だが、そこに仏教者が、ではなく仏教者も、いればいいと思う。素晴らしい教えが結果的に伝わればいいとは感じるが、伝えようとは考えない。

「世の中に自分の力の及ばない事があると気付いた時には誰もが宗教的感性を見せますが、人によって背骨は違うし、食べたくないものを無理強いはできない」。そして、「勧めて拒否されたら自分が傷つくからです。でも、つながっていたいし、そんな場をつくりたい」と話した。どこまでも悩みに正直だ。

中下さんは、被災地の惨状に鬱状態になっていた時、東京で孤立死防止のために訪問している末期がんの一人暮らしの80代女性に「つらい時はお互いさまよ」と話を聞いてもらい、泣き続けた。

家族を亡くした被災者から「いのちを粗末にしないで生きて」と励まされた。今も心の中に聞こえる「痛みの分かる人になってね」。人々に寄り添おうとして、そして共に寄り添われている、そんな宗教者の姿がそこにあった。

(北村敏泰)