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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

駆け付けた人々 11(2/3ページ)

2012年6月23日付 中外日報

17年前、地震2日後に個人で救援物資を届けたが、所属する京都の宗派青年会で「僧侶らしい支援をしよう」との話になった。だが「供養は地元で足りている」「宗派の寺や檀家へ行こう」と論議するうちに日がたつ。結局は炊き出しや片付け作業になったものの、「坊さんの仕事とは違う」との声もあった。

「そうじゃないだろう」。杉若住職は、テレビでしか現地の様子を知らないメンバーの発言や、普段は寺にこもる僧侶が被災地で他の人々をただまねてこれ見よがしに支援するのに違和感を覚えた。組織の活動に見切りをつけ個人で淡路島の避難所に行くと、住民らは留守。こぞって隣村へ助けに出掛けたと聞き、胸を打たれた。

「手が要る所ならどこでも何でもするのが当然。そのためにはアンテナを張っていなくては」。そう確信し、中越地震ではすぐに下見に行った後、仲間と1カ月テント生活で作業をした。

檀家85軒、信徒100世帯の小規模な寺だが、24年前に住職になって以来、「釈迦の弟子としてこの世に尽くすために生まれたので葬儀以外は事あれば出掛けます」と言い続け、檀家も「私らの代わりに」と支援物資を託してくれるようになった。だが7回30日余りに及んだこの震災での活動は並大抵ではなかった。

4月には亘理町の全壊した家で、40代の女性に行方不明の母の写真を探してほしいと依頼された。8人のボランティアで山積みの瓦礫と格闘した。全身泥だらけで手袋も破れ、ネコの死体が出てきた。見つからず、よけて片側にできた山を再び手でかき分ける。

それを3回繰り返し、「もう別の作業をした方が……」という諦めの空気にも、住職は手を休めなかった。女性は、車の助手席に息子、後部座席に母を乗せて迫る津波から逃げたが、追い付かれて濁流でガラスが割れ母は流され出た。だが、アクセルから足を離すわけにはいかなかったのだ。「同じ気持ちにならないと仕事はできません」