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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支える思い 2(2/3ページ)

2012年7月7日付 中外日報

自死に至るには、例えばリストラ・生活苦・借金・離婚・鬱・絶望と、複数の原因が互いに絡み合っている。それは「因」「縁」と「果」の関係であり、それを少しでも解きほぐすように、と対応する。

ある高齢女性は生活苦の上に病気になり、医療費がかさむことで実の息子からひどい虐待を受けた揚げ句、生き地獄の思いで相談してきた。住職らは、適切な相談窓口などを調べ、どんな手順でどう対応してくれるのかも確認した上で相手にそれを返事で知らせた。

また他にも、自死者の追悼法要と「遺族の集い」という活動も。自ら命を絶ったことが世間に伏せられ、家族も「なぜ救えなかったのか」と自責の念に苦しむ。そんな中で、「いのち」の大切さを考え、悲しみを分かち合うのが目標だ。

「まさか」というのが突然家族に死なれた人の共通の気持ち。わが子を失った母親は、以来時間が止まったようで、命日の4月になって桜が咲き始めると心の中の「鉛の塊」がいつまでも消えず苦しみ続けていた。

実生活でも無理をしないようにその人のペースでと、藤澤住職はじっくり2年近くも手紙のやりとりを続けた。「自殺」の語は「悪」の価値判断を含み、心に突き刺さるので「自死」と表現する。

藤澤住職は、自死を考える人のように苦しみを抱えている人に接する際は、「そんな状況から逃げ出したい、という感情をそのまま認めてあげてほしい」という。逃げ出す行為ではなく、その心をだ。そして「生きていてほしい」と願う。

しかし、その大前提には、世間のいろんな要因によって死を選ぶほど苦悩している人が「ああやはり生きていて良かった、と思えるような、そんな社会でなければ何にもなりません」と強調する。問題は、「自己責任」などの押し付けで、悩みを打ち明けることもはばかられるこの社会の仕組みだ。

だから目標にするのは「安心して悩める社会を」だ。「悩みのない社会」ではなく人間は悩みからは逃れられないという前提で、「迷惑を掛けてすみません」より「お世話になります、ありがとう」と言い合える、そんな社会。そこには仏教者としての人間観、社会観が貫徹している。