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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支える思い 3(2/3ページ)

2012年7月12日付 中外日報

「あなたの苦しみを今回は私が引き受けます。今度、私がつらくなったら手を貸してください」と実際に話し掛けることが大事だという。

そのようにこれまで取り組んできた教訓が、これからも震災の現場で生かされると確信している。「が」。住職はそう力を込めた。被災地での現実が胸に迫り、「あまりに悲しみ苦しみが圧倒的で、本当に立ち直れる力が出てくるのか途方に暮れています」と正直に告白する。

「知り合いの2人が次々自殺しちゃった。男は家族や仕事を失うと本当に弱い。今まで名刺の肩書、仕事で勝負してきたのにゼロになってしまった。俺ももう何もない。集会所でサロンとかやってるけど、大の男が一人で参加できると思うか?」。福島の仮設住宅でこんな話を聞いた宗教者もいる。

全てを失い、生きる意味の大前提が崩れた人にどう声を掛けたらいいのか。「諸行無常と言うが、私の中では苦しさを苦しさとして受け入れるしかないと思っていても、その人の悲しみは本当には分かりようがない」という藤澤住職がよりどころとするのは、やはり信仰だ。

「その人に立ち直るきっかけを求めたいという気持ちが湧き起こったら、それに応えるだけのポテンシャル、叡知は仏教に確かにあります」。「諸行無常」もその人に合点がいって初めて意味を持つ。

「布教」と言わずとも、その仏の教えは、行いや態度によってしっかり伝わることがある。必ずしも仏教者によるものでなくとも、困っている人のためを思う、それぞれの立場での菩薩行、慈悲の心の表れがそれだと住職は語る。

「何をなすべきか」と考え続ける藤澤住職が被災地で当初に出会い、自らの役割に全力を傾注するその姿から強烈な印象を受けた僧侶がいた。まだ安置所に遺体が次々運び込まれていた昨年3月25日、岩手県大槌町吉里吉里でのことだ。