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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支える思い 5(3/3ページ)

2012年7月21日付 中外日報

そうして迎えた9月の秋彼岸法要。参道の長い石段を上がってくる人々の表情や参加者の構成が変わっていた。少し前までは悲嘆に暮れて法事にも来られなかった人の顔がたくさん見えた。「元気だかぁ?」。挨拶の声も飛ぶ。「お釈迦様の教えを学んで、それをこれから生きるのに生かそうという気持ちです」。高橋住職には確かにそう見える。

被災の苦難で自死した人の話も出た。だが「寺は『予約制』だよ。そんなことになりそうになったら、必ず電話してちょうだいね」と語り掛けると、皆の間にほほ笑みさえ広がった。住職は目を潤ませながら安堵感をかみしめた。

寄り添いの姿勢、支える心はどこから来るのか。あえて問うと、高橋住職は曹洞宗第4祖、瑩山禅師の「仏法の修行は檀越の信心によって成就す」との言葉を引き、「まさにその通りだと身に染みて確信できました」。

檀家の信仰に基づく支えがあってこその寺であり、住職もそれでこそ修行ができる、いやそれ自体が修行なのだ。孤高の修行者とされる宗祖道元も、阿含経を引用しながら檀家、施主に「慈心」を持って接するべきだと説いている。

高橋住職に休みはない。町が壊滅した中で、やれることは文字通り何でもやった。常に「これでいいのか」と自問しながら。その答えは、「常に相手の立場に立てば、何をなすべきかはおのずと決まるものです」。

菩薩が苦海の衆生を救済する方法としての「四摂事」。布施、愛語、利行に続く「同事」つまり、人々が仏法を聞き受け入れることに行いを持って「伴走」すること。住職の僧侶としての背骨を感じることができた。

これからは町全体の復興に道筋を付けなければいけない。かねて打診されていた町教育委員を、住職は9月に引き受けた。「まず子供たちが前を向けるように」。学校再編問題。震災前、地域の吉里吉里小は廃止の方向だったが、津波では町内で唯一建物が残った。過疎と児童数減少の中で全校を統合して複々式学級を導入するなど改革が必要だと感じている。

「未来に誇りを持てる町に」。そう考える住職の脳裏には、寺の子供会に集った楽しそうな多くの顔が浮かんでいる。

(北村敏泰)