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倒壊した浄土真宗本願寺派法城寺の鐘突き堂(むかわ町)
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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支える思い 8(2/3ページ)

2012年8月4日付 中外日報

泥の潮流のようになった市街地を、黒いトタン屋根の民家の2階部分が左から右へ流れていく。ふと、そのモルタル壁の窓から白い服の老女が上半身を乗り出し、右手をちぎれんばかりに振って助けを求めているのが見えた。「ばあさん、逃げろ! 流されるぞ!」。住職も周囲にいた避難者も声を振り絞って叫ぶ。

轟音で老女の声は聞こえないが、窓枠にしがみついた。境内端の崖から直線距離にして50メートルもないが、すぐ下は激しい流れでとても近づけない。もどかしいまま、間もなく2階部分は大きく傾き、別の建物の角に激突すると砕け散って老女もろとも沈んでしまった。

人々は呆然と見つめていたが、押し寄せる濁流で今しがたのその場所がどこなのかも分からなくなった。スローモーション映像のように、生まれ育った街が眼前でゆっくり消滅していった。

命からがら急な参道を駆け上り、這いずり上がって逃げてきた人々は、買い物途中だった主婦、カバンを提げた会社員、クラブ活動のジャージー姿の高校生や高齢の商店主、ヘルメットの消防団員ら。離れ離れの家族の安否確認さえできず、不安のどん底だ。その夜、仙寿院に避難したのは本堂や会館に576人、入りきれず表の車中や縁台に座ったまま眠った人たちも150人以上いた。0度近い厳寒だった。

たまたま前日に処分のため集めた古い塔婆2400本余りと、瓦礫の材木をドラム缶で燃やし続けた。芝崎住職の終わりのない奮闘が始まった。

次の日、家の残骸の下にあの老女の無残な姿が見えたが、重機なしではとても引き出せない。他にも数十人の死骸が散らばる。手作業で収容できた遺体は中学生と高齢男性の2人だけだった。

「まず皆の命を守らねば」。妻友子さん(54)、長女瞳さん(25)と役割を分担し避難者の生活を支えた。寺に備蓄していた米250キロを数十キロずつ、5升入りの大鍋四つで炊き、握り飯にして配る。初日は1個を3人で分け、白湯や水を飲んだ。3日目にやっと1人に半個と飴1個。

本堂に段ボールを敷いて横たわるお年寄りはぐったりし、子供たちは空腹にしゃくり上げた。人々は見る間に衰弱していき、住職は食料調達に奔走することになる。