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倒壊した浄土真宗本願寺派法城寺の鐘突き堂(むかわ町)
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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支える思い 8(3/3ページ)

2012年8月4日付 中外日報

津波の水が引いた日には、市から握り飯250個が届いたがとても足りない。住職は街へ下り、道に屋根の高さまで積み上がった瓦礫の山を手でかき分け乗り越えて、市災害対策本部が置かれた複合商業施設「シープラザ釜石」まで食べ物を受け取りに行った。道端にも遺体がそこら中に。わずか1・4キロの距離に何時間もかかり、手は傷だらけになった。

次に寺の裏山を越え、被災を免れた7キロ先の山手のスーパーマーケットへ。被災状況は全く伝わっておらず、携帯電話で撮った写真を見せると飛んで来た店長が絶句した。「な、何が要りますか?」「すぐ食べられるものを」「じゃあパンを。30個はあります」「700人います」。店長は空を仰いだ。

栄養にとチョコレートを大量に買うと、事情を知った別の客が自分の買った分を全て譲ってくれた。大リュックがいっぱいになり、2リットルペットボトルの水5本は両手で提げる。老人が「申し訳ない、申し訳ない」と言ってもう1本くれた。沿岸部に住む娘が行方不明だという。

また山越えして寺に戻ると前夜にくじいて包帯を巻いた足から血が噴き出していた。運動靴で瓦礫の釘を踏み抜いていた。こんな日が4月半ばまで続き、70キロ近く離れた花巻までも買い出しに赴いた。寺の出費もすぐに100万円を超えた。

修羅場の日々に、こんなことがあった。壊滅した市街地で、警察官と自衛隊員らが瓦礫の山を前につかみかからんばかりの口論をしていた。遺体捜索が先か、交通確保が先かだった。

「いい加減にしなさい」と住職が割って入ると「何だあんたは」。「亡くなった方を考えると一刻も早く」と警察官。その気持ちを痛いほど感じたが、「私は僧侶で死者のことは理解している。だが残った人たちの命を救うのが今は先決。亡くなった人も分かってくれる」と口を突いて出た。避難所に食べ物を運べるよう道路を確保してほしいと訴えた。

芝崎住職は、隣の寺とも合同で、自宅で過ごす被災者向けにも炊き出しを続け、多い日は2千食以上を供給し続けた。それらは、全て信仰に裏打ちされた行いだった。それが避難者たちとの生活にも表れていた。

(北村敏泰)