ニュース画像
倒壊した浄土真宗本願寺派法城寺の鐘突き堂(むかわ町)
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
時代を生きる 宗教を語る
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版
いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支える思い 9(3/3ページ)

2012年8月7日付 中外日報

父であり自ら県庁で税務課に勤務した師匠(87)の教えで、若い頃から青年会議所など市内のいろんな団体に所属して活動した。「ただの会員ではなく責任ある仕事をせよ」と言われて働いたことが僧侶としての大事な肥やしになっている。

そして『法華経如来神力品第二十一』を引きながら「寺にいても林にいても荒野にいても仏教者でなければならない。そこが寺であり、そこが浄土です」。

だから震災前も後も、町づくりの会合などで動き、行政とも交渉する。「駆け込み寺」を目指して以前から開設していた「心といのちの相談所」に、津波で会社がつぶれた市民が訪れた。専門知識のある住職は、起業のための書類や手続き、ノウハウを伝えた。4月以降は、「仮設住宅入居の際は地区のコミュニティーを尊重して」「放置瓦礫から自然発火するので消防団を早く再建しないと」と地元からの要望をまとめて矢継ぎ早に市役所に掛け合った。

寺に集う人々から茶飲み話で個別に「街をどう再建しようか?」と意見を聞き取って集約し、図面まで引いて担当課に持ち込んだ。土地かさ上げや避難道路、商店街再編まで盛り込んだ復興計画に「まだ早いのでは」と言う課員を、「早くない!」と一喝した。「希望を失いそうな人々がいる時こそ何かを示さないと」

「人が寄り、集まる場こそが寺です」と住職。広く仏教徒が唱える「三帰依文」のパーリ語版で「ブッダン」「サンガン」などの後に繰り返される「サラナン・ガッチャーミー」という言葉は本来、「安らぎの場に赴く」「避難所に行く」という意味だ。

仙寿院は、8月8日までの151日間も文字通りに避難所であり続けた。そこに寄り添い続けた芝崎住職は、「ちょっと集まり過ぎですけどね。外から帰ったらよその人がうちの家族と飯を食ってるんです」とまた冗談を飛ばす。だが、眼鏡の柔和な眼差しの奥には、支援活動と並行して地獄を見続けた日々の記憶が消えることなく繰り返し甦る。

(北村敏泰)