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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支える思い 10(3/3ページ)

2012年8月9日付 中外日報

火葬場で交代で供養し、全宗派の救援物資を仙寿院と石応禅寺に集め均等に各地に配った。作業には仙寿院の避難者たちが活躍する。文字通りの「働く仏教会」が、百カ日法要も合同で営むことができたこと。それで悲しみのどん底にいる人たちの心を多少なりとも支えることができたと芝崎住職は振り返る。

そして今年3月11日の一周忌。仏教会主催の「海岸供養」で、高橋住職と共に芝崎住職も海辺を行脚した。法華太鼓を打ち鳴らすと、曹洞宗僧侶よりかなり速足になる。が、「祈る気持ちは一緒だね」とあらためて確認し合えた。

「葬儀や供養も今はまず、生きている人のため。遺族が故人との関係で自分の位置を見定め、前向きになっていくのに不可欠です」。仙寿院の檀家も64人が犠牲になり、昨年の5月すぎまで葬儀が相次いだ。

32歳の娘と2人暮らしの70代の母親がいた。津波警報を聞いて家の2階に上がり、「ここまでは来ないだろうけど念のため」と娘は母をたんすの上に押し上げた。だが直後に濁流がなだれ込み、娘だけが流された。「何で。あの子を助けて自分が死ねばよかったのに……」。母親は住職に泣きながら散々「死にたい、死んで娘の所へ行きたい」と慙愧の言葉をぶつけた。

早くに離婚して墓はなく檀家でもなかったが、「うちで葬式しませんか」と持ち掛けた。「お金もない」「要りませんよ」。やっと納得したのは6月。「せっかく娘に助けられたのに命を無駄にしたらいけん。しっかり生きるのがあの子への供養と思って間違いないでしょうか」と口にした。葬儀の戒名は「純孝院明華日清信女」。

親を助けた孝行娘で、「花のように明るい子」との母の言葉から住職が付けた。その位牌を老母は抱き締め、ほっとした表情になった。仮設住宅から魚の加工会社に勤めるようになり、住職も安堵した。自らゆっくり立ち直るのを住職がそっと後押ししたように見える。

(北村敏泰)