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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

支える思い 11(1/3ページ)

2012年8月21日付 中外日報
仙寿院では身元不明者の遺骨を預かり、住職が供養し続けている(岩手県釜石市で)
仙寿院では身元不明者の遺骨を預かり、住職が供養し続けている

お寺は人々の集いの場

世間話に悩みや本音が

被災した人々にさまざまな形で寄り添い続けた岩手県釜石市の日蓮宗仙寿院、芝崎惠應住職(55)には「僧侶だから、こうあらねば」という発想はあまりない。「人としてやれることをするのが当然」と。その中で「祈る」心があれば、それが宗教者としての行いだと考える。物資を持っていき、そこでその人の安全と幸せを願い、祈る。

必ず掌を合わせるが、それは「自分の心の中のこと」であり、坊さんだと相手にアピールすることではない。ジャンパーに毛糸の帽子で食糧供給に通っていた避難所で、「掌合わせて変な人だと思ってたら、和尚さんなんですね」と、3日目に人づてに聞いた老人から声を掛けられた。「わしもあんたのために祈る」と老人は合掌した。仏教が自然に伝わっているようだった。

その「祈り」の思いは当然、死者そして身元の分からない犠牲者に対しても同じことだ。仙寿院には、布に包まれ「№164 鵜526」などと番号だけが付された遺骨の箱が、スチール棚にずらりと並ぶ。火葬が進んでも引き取り手が不明か、それも亡くなって遺体安置所に置いたままになっていた100体以上を寺で預かった。

被災で墓への納骨ができない他の遺骨と共に、住職は毎日読経して供養している。「死者をきちんと送り、人間としての最期の尊厳を守ることは僧侶の仕事です」

しかし、本来の支援活動以外のところでの困難も多かった。「大奮闘する避難所」として度々マスコミに報道され、テレビクルーなど計34社もが次々取材に訪れた。住職は惨状を知ってもらおうと被災直後の状況を繰り返し思い起こしては説明するうち、生々しい記憶がよみがえって眠れなくなった。9月には体調を崩し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。