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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

心のケア・宗教の力 3(2/3ページ)

2012年9月13日付 中外日報

宗教者の「祈り」とは。この震災でさまざまな取り組みと論議が繰り広げられた。被災地で、京都や東京の伝統仏教教団の本山で、全国の寺社教会や教団施設で。

1カ月後の4月11日には鎌倉の鶴岡八幡宮で神道、仏教、キリスト教による合同の祈願祭が行われ、千数百人の宗教者らが集った。全日本仏教会は四十九日に合わせ、日本中の寺院で地震発生時刻に鐘を鳴らし犠牲者追悼法要で祈ることを呼び掛けた。

インターネット上では震災2日後に「全国の皆さま、共に祈りましょう」との呼び掛けが仏教青年会などによって始まり、瞬く間に広がった。貧困・自死問題に向き合う首都圏の宗教者たちは一斉に祈る行動を提案し、ネットには若い僧侶の「自然の力は強く人間の存在は小さい。自分に出来ることは祈ることしかない」との応答が書き込まれた。

カトリック教会は大司教名で、世界各国からの祈りと連帯表明に感謝するとともに、全国に向けて「神様……助けと励ましを与えて下さい。私たちも(被災者のために)犠牲を捧げ祈り続けます」との祈りの辞を配信した。では、祈ることにどんな意義があるのか。

震災半年に東京で開かれた宗教者災害支援連絡会議では、鎮魂に加え原発事故にも言及した「復興祈願詞」が金光教から発表されて共感を呼び、伝統的な経文に加えて新たな祈りの言葉を作る必要性が論じられた。

高野山真言宗の僧侶は関西でのフォーラムで「『祈りましょう』との訴え掛けが人々の絶望を食い止めている。宗教者の祈りが本当に通用するのか、その質は宗教者自身の日々の在り方にかかっている」と指摘。終末期医療に関わる臨済宗僧侶は「祈りが無力ではなく、祈ることを忘れた心が無力。祈りによってこそ言葉や行動に不屈の力と霊性の輝きが備わる」とメッセージを発した。