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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

心のケア・宗教の力 3(3/3ページ)

2012年9月13日付 中外日報

グリーフケアを実践するカトリックのシスターは、被災地から離れた広く一般の人々にも「神様、仏様に、ご先祖様にでもいい、どこでもお祈りができます。被災者のために祈ってください。寄り添う気持ちから行動の第一歩が始まるのです」と講演などで訴える。

福島を中心に支援を続ける真宗の僧侶は語る。「祈りで空腹が満たされることも瓦礫が片付くこともありません。でも人はあらがえない理不尽さに直面した時、『祈る』行為によって自分自身を見つめ、他者の痛みを感じることができるようになるのです」。「祈り」は宗教者ならではの行いだから意味があるのか、宗教者ではない人々の「祈り」にも同じように力があるのだろうか。

3月11日、金田住職の自坊のある内陸部の栗原市は県内最大の揺れに襲われ、電気や通信が遮断された。沿岸部の惨状は1週間後まで詳しくは知れなかったが、遺体が40キロ離れた南三陸町から市内の火葬場にも続々と搬入された。古来「塩の道」を通して結ばれた土地同士だ。ガソリンもない中で知り合いの僧侶らと供養に通った。

最初に運ばれてきたのが小学5、6年くらいの女児2人。とても仲良しだった友達同士をそれぞれの親が気遣い、せめて一緒に荼毘に付したいと願った。若い僧侶は身を震わせて読経し、取材に来た新聞記者はカメラのシャッターを押せずに嗚咽していた。住職にできるのは、死者と生者のために祈ることだった。

地震当日の夜。停電で漆黒の闇、車も走らない静寂の中で夜空が異様に美しかった。携帯ラジオが津波による犠牲を報じている。きらきらと一つ一つが輝く満天の星々を見上げた金田住職は、よく知った彼方の南三陸の海に数限りない遺体が漂う光景が浮かび、戦慄が走った。

(北村敏泰)