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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

心のケア・宗教の力 9(3/3ページ)

2012年10月4日付 中外日報

1年半がたち、「心の相談室」を振り返って「どの宗教者も誰一人として理屈から入っていない。こういう課題があるからこう対処しよう。まずこれです」。学者として「言葉」を仕事にする川上牧師だが「現場主義なので言葉が追い付かない」と苦笑いした。

それだから続けることができ、当初取り組んだことがかなり充実してきたが、これからは永続させる仕組みが課題だと考えている。そんな中で、「宗教者としての自覚もキリスト者としてのアイデンティティーも強まりました」。信仰は「自分自身そのもの」なので客観視はできないが、それを「外在化する」キリスト教という宗教の形において、「自分の中の信仰が何であるのか」を新たに知ったという。

そして「聖書が今までとは全く違って読める体験」をしている。被災地で何人もの宗教者から、自らの宗教の「教え」についてこれと同じ言葉を聞いた。川上牧師は、それによってミサなどの儀礼への姿勢も、礼拝の質も変わったと信じる。

人々に伴走するとは、「無力で何もしないが逃げもしないこと」。自分と一緒に悩んでくれる人が目の前にいる、それが苦しんでいる人々に安堵を与える。聖書は「自分を無にした神は十字架で死んだ」と物語る。「それをモデルにして人間が生きる時に奇跡が起こり、それを『神が甦った』と言うのでしょう。それにあやかってきっと人間も甦るのです」

そんな任務がうまくいかないと泣く時もある。復活したイエスが弟子に「私が遣わされたようにお前たちも遣わす」と語る聖書の記述を読んでまた泣く。「これが私の仕事だということだ」と。

(北村敏泰)