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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

心のケア・宗教の力 18(2/3ページ)

2012年10月30日付 中外日報

岐阜出身の桑山医師は菩提寺が真宗大谷派だ。「南無阿弥陀仏」を唱えることによって、一心に集中することで救われると考えている。「『自力』かもしれませんが、それで悲しみの中に光が見える。そんな心のキーワードを持ちましょう」と訴える。念仏と並び、桑山医師が挙げるキーワードは「虹」。「土砂降りの後には、きれいな虹が出るっさ」。閖上の人に、そう教えられた。

光や虹のように、人々の「希望」となる宗教。では、「心のケア」の中でそれを担う宗教者のたたずまいとはいかなるものか。

これについて論述の多い金子昭・天理大おやさと研究所教授は、いわゆる職業的宗教者以外の人にも可能な宗教的な「心のケア」が現実に行われていることを指摘。心の問題は人間関係、社会・経済的関係の中で起きるもので、共同生活を営む関係的存在である限り、心のケアは誰もが行い得る、つまり「特権的な担い手はいない」と言う。

そして、他人に支援の手を差し伸べる人は、特定の宗教の信仰者でなくても、自ら意識しているか否かを問わずそれぞれに宗教的心性を持っている、とした上で「あえて言うならば、何らかの宗教の信仰者の場合は、教えに基づいて『生きる意味を提示』することができるということに、その心のケアに優位な点があります」と語る。

この「生きる意味」は、桑山医師の言う「死の意味」と表裏一体だ。彼ら信仰者には、明確な名前を持った神仏という超越的監督者がついており、これがしっかり働いてくれた時に、ケアが底力を発揮できる。

だが、「それを宗教者が自らの力量だと思い込んだ時、慢心と虚偽が生じる」と金子教授はくぎを刺す。「共に同じ生活者として人々に関わることによって、宗教者は長期にわたる人生の伴走者になる必要があり、その覚悟で生きることが求められるのです」とも。