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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

心のケア・宗教の力 22(2/3ページ)

2012年11月10日付 中外日報

遺体が見つからなくても「一緒に待ちましょう。安心して」と慰め続けられるのは地元の僧侶しかない。先の長い苦しみの中で、今後もずっと継続させることができる外部からの支援の形とは、そんな地元宗教者を側面から支えることだと思い当たった。

ケアとは、「時間を共有すること」。「心のケア」に、「俺は病気じゃねえ!」と反発する人もいる。「つらいことがあったら話して」と言ってつらいことを思い出させてしまうようなものではなく、「重いものを持っていたら一緒に持つことです」。避難所で苦しい胸の内を話すにも、周囲を気遣って笑顔を作る人がいた。話を傾聴し合掌したが、公に悲しむことができる機会の必要性を痛感した。

それが宗教的な儀礼の場だ。葬儀もだが、吉水副住職は石巻の被災寺院の四十九日法要で、遺族たちと「数珠繰り」をした。何人もで大きな数珠の珠を一つずつ、念仏しながら回す。昔からある、いわばグリーフケア。同じ悲しみを抱えた参加者らは安らかな顔になり、知り合った遺族同士が「ご家族、もう見つかったの?」と声を掛け合う様子に、つながりを生む儀礼の力を感じた。

吉水副住職が、宗教の力への期待は大きいと感じるのは、「人は死してもなお遺された人にとって大切な人として存在し続ける」という遺族の願いを肯定し、現世での別離を悲しむ心を聴く役目を担うのが、僧侶だからだ。寺は現世に残った者が悲嘆を共にする場であり、僧侶はあらゆるいのちに接する必要がある。

そして、その力を引き出すためには、僧侶自身に確固たる信仰心がなければならない。それはまず他者と一緒に苦悩する自身が進むべき道を見失わないため、また苦悩する人々に「信ずべき祖師の教え」に従って光明へと導く道を示すためだ。