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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

心のケア・宗教の力 22(3/3ページ)

2012年11月10日付 中外日報

加えて吉水副住職が強調するのは、仏教者による活動は「社会道徳」を理念とするのではなく、信仰する「宗義」に基づくべきだという信念だ。いわば、信仰が活動のエネルギー、源泉になるということだ。

被災地の惨状に「厭離穢土、欣求浄土」の気持ちを抱いたというが、信仰は深まったという。夫と息子2人を失った女性に、何の言葉も掛けられず、お菓子を渡すことしかできなかった。「私が欲しいのは、夫と子供に会うことだけです」。吉水副住職は、自らが何もできない「凡夫」であることを痛いほど悟り、何度も何度も念仏した。

「ひたすら阿弥陀様を念じました」。祈りで命が永らえたり病気が治ったりはしない、ただおすがりするのだ。そう法然上人が語った、その通りだと心の底から実感した。支援活動で苦しくなると、副住職は寺の本堂など暗く静かな場所で「南無阿弥陀仏」を唱える。

同じ考えを、被災地で働く多くの宗教者から聞いた。支援活動は「教化」と語った吉水副住職はさらに、「信仰に基づいて活動することで他者に対する学びが多くなる」と言い、その意味で自分の宗旨を非常に大切にする。

その上で釈迦や法然上人の教えの言葉、経典自体が動いて救ってくれるわけではなく、自分の行動の中に表してこそ、つまり教えが行いになってこそ「力」になると指摘する。それによってこそ、他の人にも教えを示すことができるのだと。「重い荷物を持ってあげるべきだ」と説くのではなく、実際に一緒に「持つ」ことだ。

振り返れば、僧侶として念仏が身に付いたのは東京で路上生活者を支える活動を始めたころだったという。以来、いろんな支援の行いと念仏とが常に共にあったのだ。

(北村敏泰)