ニュース画像
江川会長を導師に営まれた世界平和祈願法要(大般若転読)
主な連載 過去の連載
エンディングへの備え
時代を生きる 宗教を語る
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版
トップ> いのち寄り添うリスト> いのち寄り添う 24
いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

いのち寄り添う 24(2/3ページ)

2012年11月15日付 中外日報

「生活に寄り添う僧侶を、わざわざビハーラ僧と呼ばなくてはならないのは、本来そうすべきことを僧侶がしていないからだ」。この会を立ち上げた大阪の真宗大谷派瑞興寺、清史彦住職(60)が、そう厳しい指摘をした。宗教者による「心のケア」とは何かという問題について、清住職は「真のスピリチュアルケアとは本当は宗教的ケアです」と言う。

それは決して「宗派的ケア」、ケアによる布教という表層的な意味ではない。「本来の心のケアは生活ごと支える丸ごとケア、というのはその通りだが、人間の通常の欲望の方向に行くケアにしないようにするために、スピリチュアルな領域を重視することです」

特定教派の「言葉」で囲い込むのではなく、宗教が本来目指す人間の本質的スピリチュアリティに目を向けるということか。極めて深い意味をくみ取ることができる。

岩手でボランティア活動をするカトリック信者は「宗教を広めるのは問題だが、信仰を広めることは有意義です」と語った。狭い「布教」ではなく、そもそも宗教が理想とする人間の在り方を、言葉上ではなく「行い」をもって示すことが最も重要であり、訴え掛ける力も大きいのだ。

大河内副住職も「仏教の7日ごとの法要にはもともとグリーフケアの意味がある。そのように、宗教は儀式の形も守りながら本来の意味を取り戻すことが求められています」と訴える。

その大河内副住職は、肉親を失った被災者らから非常に苦しい話を傾聴したり、悲惨な状況に向き合って自らがつらくなった時には「心の中の阿弥陀さまに聞いていただきます」と言う。同じビハーラ21の他の僧侶は、相談者が悩み迷っていても「何でも許せるようになる。それは自分が仏さんから許されていると思えるから」と語った。