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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

心のケア・宗教の力 25(3/3ページ)

2012年11月17日付 中外日報

各地の宗教者の間でも論議を呼ぶが、現場ではこんなこともあった。

昨年5月、宮城県亘理町のボランティアセンターで、活動から戻った人々に炊き出し支援をするパキスタン人のイスラームのグループがいた。おいしいカレーライスを振る舞う傍らに「アッラーのほかに神なし ムハンマドはアッラーの使徒なり」と「信仰告白」を記した幕が。その場には仏教の僧侶もいたが、一般ボランティアも含めてこの「宗教明示」にはっきり異議を唱える様子はなかった。

「告白」は、日々の礼拝と並ぶムスリムの義務の「五行」であり、支援活動自体もそのような一環であるという、彼らの宗教的アイデンティティーがそれとなく伝わってきたからかもしれない。

トルコの災害救援団体「キムセヨクム」は、震災直後の3月14日に同県石巻市に駆け付け、数十人が2カ月にわたって活動した。1997年に設立され世界中で活躍するこの団体はイスラームの相互扶助を理念とし、その名称は「誰かいないか!?」の意。捜索・救助活動をする人と助けを求める側、双方の叫びだ。

その活動は「サダカ(布施)」の一つであり、困窮者や貧しい人、非ムスリムへの行いだが、活動に参加した日本トルコ文化交流会副理事長のイディリス・ダニシマズさん(37)は「それは喜び。助ける時の、助けられる時の喜びです」と言う。

同時にダニシマズさんはハディース(ムハンマドの言行録)から「隣人が空腹な時に満腹で眠ることができる者はわれわれの仲間ではない」という言葉を引き「何か困っていないか、行って調べることが大事。布施は社会福祉ではなく、神の満足を得るための宗教的義務です」と強調した。

ムスリムにとって、イスラームとは宗教であると同時に生活全てに関わるシステムであり、支援活動も「宗教者として」「人間として」の区別は無意味だという。

(北村敏泰)