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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

心のケア・宗教の力 26(3/3ページ)

2012年11月20日付 中外日報

末期に過剰な医療を控え、その人らしいQOL(生活の質)を維持するには自宅が最適だ。そんな現場で、死に臨む女性患者が「じいさんが迎えに来た」と言って安らかに旅立つのに接した。

同じような場面を何度も経験した。「医学的に『幻覚』などと言っても意味がない。ご本人も家族もそれで安らかになる。そのような看取りの文化が、実は昔からあった」と納得した。現場に学ぶ中で、患者や家族のそんなスピリチュアリティに、多様な資質のスタッフでケアをすることが第一だと分かる。

ある時、難病で死期を迎え不安がる男性患者に「お迎えとかありますよ」と言った。男性は納得して亡くなったが、岡部医師は複雑な思いだ。「医療にはあの世を語る技術も知識もないのに、自分のできないことをしてしまった」。それは「やはり確信を持てる人、つまり宗教者の役割なんです」。

末期に一人暮らしをする老女が、篤い信仰に支えられていることを知った。傾聴や話だけでなく、「臨終作法」といわれる儀礼が求められることも。「やはりお坊さんにはかないません」。そのような宗教によるケアの重要性を岡部医師が確信したのは、二つの経験からだった。

震災前年の1月、病院の看護師に「顔が青白い」と言われて検査を受け胃がんと診断された。手術したが肝臓などに転移し、6月には「余命10カ月」と宣告される。「いざ自分のこととなって、死への導きがないのはきついなあって」

怖くないと言えば嘘になる。だが、看取ってきた患者たちが「死ぬことのお師匠さん」だと思った。

(北村敏泰)