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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

心のケア・宗教の力 28(2/3ページ)

2012年11月27日付 中外日報

「僕に『お迎え』が来るなら父親でしょうね」と語ったことがあった。最期は、かねて臨終に立ち会うよう依頼していた曹洞宗の若い僧侶(33)が泊まり込んで支えた。やはり講座受講者の一人で、医師から身をもって「死」を教えられることになった。

相談室の「同志」で、枕経を勤めた金田諦應・通大寺住職が付けた戒名は「観月院叡醫玄明居士」。あの世の闇の中で人々の行く道を照らす、月明かりのような役割を宗教に求めた医師の思いがこもっているようだ。実習場所の「カフェ・デ・モンク」会場に掲げられた岡部医師の遺影は、スッと腕を伸ばし語り掛けるような笑顔だった。

岡部医師は生前、宗教の「大きな物語」としての役割にも期待を語っていた。「私たちはこれまで、合理的近代的な考え方によって造られたもので目隠しされて生きてきたという感覚がある。ビルとか車とかは合理的で便利だが、大きな意味での自然の流れということから考えると目隠しになっている。そんなものが、ボーンと壊れてしまう大きな自然現象が起きた時に、所詮目隠しだったと気付くのですが、どうやって立ち直るのかと考えると、合理的だけではいかない」

そこで「被災したことの意味、大自然の力との向き合いについて、宗教者に聞きたい」と医師は語った。「なぜなら仏教だと二千何百年もの歴史があり、宗教は被災体験、それを乗り越えた体験を圧倒的に持っているのだから。せいぜい百数十年しかない近代科学の知識の集積は宗教にはかなわないですよ」

また、復興で防災都市計画とか合理的解決策ばかりが求められているがそれだけではいかない、とも指摘した。

「圧倒的にかなわない自然の力との関係をまだ人間がつかみ切れていない。人は合理的思考ではなく、自然のリスクを知り、それを背負っても生きていける頃合いを考えるものです。これなら大丈夫と」