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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

つながり、そして明日へ 1(2/3ページ)

2012年11月29日付 中外日報

あの日、地震の後に町長を含む職員42人が防災庁舎に入り、対応に追われた。想定以上の津波に屋上へ逃れフェンスにしがみついたが、ほとんどが金網ごと流された。周辺は水没して孤島のようになり、数人がアンテナによじ登って辛うじて助かった。家族を残したままの自宅が押しつぶされるのを目の当たりにして号泣する職員の姿もあったという。

電話をかけてきた妻は、夫(52)が若い職員と共に寸前まで無線のマイクに向かっていたことを知っている。その放送の声を聞いて山へ逃れた妻は、月命日のたびに現場にたたずむ。「お父さん、どこ? どこ?」。そう呼び掛ける姿が見られた。あれから何度も支援に訪れ供養して寄り添ってくれた僧侶との絆、つながりが今、支えになっている。

ここから見渡す限りの荒野を1キロばかり歩いた所にある曹洞宗大雄寺はあの日、前の水尻川をさかのぼった津波が20メートルある高台の参道半ばまで押し寄せた。雪の降る厳寒の中、夜までに200人以上が避難してきた。

すぐ近くの集落は全滅して多数の死者が出ている。住民は恐怖で裏山の上まで逃げ、小島孝尋住職(51)がテントを張ってたき火をした。井戸水を沸かした白湯を皆ですすり、明け方まで何度も押し寄せる波の音を耳に震えていた。「まるで夢のように非現実的でした」と振り返った。

翌日から、体が不自由なお年寄りなど体育館に移動できない60人余りが残って共同避難生活が始まる。米や食料はすぐに底を突いた。奉納の玄米を一升瓶で搗いておにぎりを作り、流れてきた野菜などの食品を拾い、みそを湯で溶いて救援が来るまで数日間をしのいだ。「誰もが生きるために助け合いました」