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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

つながり、そして明日へ 2(2/3ページ)

2012年12月1日付 中外日報

「何もかも無くなってどうすっぺかと思うたが、お墓に入れられて安心した」。長年連れ添った妻を失った80代の男性は「わしがあっち行くまでこの土地で守りをします」と話す。父の納骨をしに東京からやって来た息子4人は「自分たちも死んだらここでお墓頼みます」と言った。墓もつながりの場だった。

大雄寺の檀家は震災前、増加して千軒に上っていた。過疎の町からは以前から住民の流出が続き、人口は減っているが分家で世帯数が増えたからだ。だが被災で100軒以上が出て行った。遠く東京や関西へ。

「前は、子供が都会に出ていてもたまに帰ってきては小さい頃のままの故郷の良さを味わえた。それが無くなってしまうのか。町全体の景色も消えてしまったし」と住職は落ち込んだ。だが、震災2年目になって少し状況に変化が見えてきた。

今年8月の盆に、一家で仙台に引っ越してしまっていた60代の男性が車でひょっこり寺を訪ねてきた。檀家ではなく、津波の後に寺で避難生活をしていた人だった。「久しぶりです。町がどうなっているかと思って。やはり懐かしいですね」と話し込んだ。もう自宅はないが、昔からの知り合いの家を訪ね、そして津波で亡くなった知人の墓に参っていった。

他にも東京などから、また彼岸にも訪問者が相次いだ。町内や他市の仮設住宅で暮らす人々も、当時世話になった小島住職にお礼を言いに来た。「皆さん、やはりこの土地とのつながりが心のよりどころなのでしょう。遠方に転居した檀家は、訪ねる家はなくても寺の墓参りに来られました」と住職。

そして、そのような人々のつながりこそが故郷復興の支えだ。南三陸町は計900人余りが死亡・行方不明となり、町全体の約6割もの家屋が全半壊した。水産業の町にもかかわらず、漁船の90%が流された。だが、住民も加わった「震災復興町民会議」などを経て、町復興計画が今年4月策定された。