ニュース画像
倒壊した浄土真宗本願寺派法城寺の鐘突き堂(むかわ町)
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
時代を生きる 宗教を語る
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版
トップ> いのち寄り添うリスト> つながり、そして明日へ 2
いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

つながり、そして明日へ 2(3/3ページ)

2012年12月1日付 中外日報

空き地には被災した商店主らが協力し合ってプレハブの仮設「さんさん商店街」ができ、海産物店、飲食店が閉店間際までにぎわいを見せていた。漁師の妻たちが仮設住宅を拠点に手芸グループを立ち上げ漁網で作ったミサンガをネット販売している。中高年たちは観光ガイドのボランティアを務め、「語り部」として訪れる人々に被災体験の教訓を伝えている。

ある秋の午後、防災庁舎の残骸を見学に来た他県の団体に、ガイドの男性が「これだけの設備でも多くの死者が出ました。地震が来たらまず何もせずに逃げることです」と説明していた。「いつか町が復興したらまた見に来てください」。そう言い添えるのを忘れない。

あの日、この庁舎に入ろうとしていた町教育長の田生誠二さん=当時(69)=も防災服姿で犠牲になった。学校現場出身で、小島住職の中学の社会科の恩師だった。責任感の強い人で、「防災対策本部で学校関係の対応をしようと思われたのでしょう」と住職は言う。教育委員を務める住職は、その数日前に会って話をしたばかりだった。

公職に就いて地元に尽くすのも宗教者の使命だと小島住職は思っている。市街地が消滅し、町の小中学生は町外へ避難して3分の2に減ってしまった。クラスメートとも離れ離れになり、通学も安全のため全てバスになった。「友だちと道草しながら下校する楽しみも無くなってかわいそうです。未来はこの子らが担う。子供たちが戻り、にぎやかな声があふれるようにするために、力を合わせなければ」

震災の後、「絆」がこの国で盛んに取り沙汰され、その年の「今年の漢字」にも選ばれた。だが人々の縁が絶たれるような社会で、言葉だけがもてはやされても実体は伴わない。被災地で悲嘆に向き合う人々、それを支える人々のつながりこそが、明日への希望の糧だ。

(北村敏泰)