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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

つながり、そして明日へ 3(3/3ページ)

2012年12月4日付 中外日報

朝から猛暑の中、作業服に地下足袋、長靴の隊員30人ほどがトラック5台に分乗して到着した。かなりの内陸部だが津波で冠水し、その塩害で枯れた校庭の樹木を伐採して撤去する作業が中心だ。隊員たちはすぐに汗まみれになった。

真っ黒に日焼けした松井善年隊長(46)は県内の分教会長だ。宮城は以前から地震が多く、教区隊はたびたび出動して行政にも信頼があった。この震災で、翌12日に東松島市の職員から援助の要請が来た。松井隊長はすぐに天理の本部と連絡を取り、早速給水車を先頭に各地の隊が繰り込んできた。

だが、今回は事情が違った。70人ほどの宮城教区の隊員はほとんどが被災して動けない。石巻、気仙沼など各地で教会や自宅が流失・浸水し教会長ら2人が死亡、一般信者の被害は計り知れなかった。

だが動ける隊員は、各隊の誘導や受け入れ態勢を整える任務に奔走した。赤井公民館に宿営し、重機も動員して地区の泥・瓦礫撤去を中心に作業は展開した。学校など教育施設が多い。話が伝わって「うちも来てほしい」と次々要請が入り、気仙沼にも転戦した。そちらで受け入れ業務をこなしたのは、自ら大変な被害を受けた隊員だった。

ある日、小学校で周辺の泥出しをしていると、塀の間から女の子の遺体が出てきた。泥だらけだったが7、8歳と分かった。近所の子で、家族が血眼になって捜しているところだった。たまたま重機を止めて手作業していたため傷もつかず、隊員が顔をきれいに拭った。全員で合掌し、松井隊長は号泣する母親の心情が胸に迫って涙をこらえ切れなかった。

活動は4カ月続き、松井隊長は「今回は、被災者側、助けられる側の気持ちがよくよく分かりました。大変勉強になりました」と言う。

赤井南小もその当時に支援に入り、その後も何度か作業に来てつながりができていた。8月に訓練に訪れたのは、当時の支援に感謝した学校側の要請によるものだった。

(北村敏泰)