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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

つながり、そして明日へ 5(2/3ページ)

2012年12月8日付 中外日報

竹内さんは震災後、テレビで惨状を知り3月22日に仲間と4人で車で15時間かけ仙台を訪れた。が、既に大世帯のボランティアがおり「仕事は少なかった」と車中で当時を振り返る。出遅れたと感じ、情報収集だけでもと物資を配りがてら苦労して半島部の小集落に入ると、1階が全壊した家々から人々が出てきた。

「行政も来ず見放された」「避難所に物をもらいに行ったら、家があるのにと白い目で見られた」と口々に苦難を訴える。空腹を抱えながら「なぜこんな物もらえるの?」ときょとんとする老人もいた。同じ話をあちこちで聞く。「援助の届かない所こそ、小規模なりに自分たちが寄り添うべき場所だ」と確信した。5日間滞在して拠点のアパートを借りるなど体制を整えた。

10日余りたった2回目から反応が変わる。瓦礫やぬかるみの難路をたどり着いた村で、30代の漁師の男性が大泣きして言った。「また来ますというボランティアは多いが、本当に来てくれたのはあんたらだけじゃ」。男性は職をなくして出稼ぎに行っていた。

このようにして村々を数珠つなぎに結び、孤立した家に何度も物資を届けながら住民と話をする活動が始まった。半年目まで月2回、その後も月1回は訪問すると、つながりは深まっていった。

一家で一人生き残った90歳の老女が壊れた自宅前に座り込んでいた。悲しみは日を追って強まる。「私も流されたらよかった」。「そんなこと言わないで。次はおまんじゅう持ってくるからそれまで元気でね」。「粒餡がいい? それとも」。竹内さんが尋ねると、「こし餡がいい」と泣きながら答えた。漁師から「次はいつ来る? アジが獲れたからおいで」と電話がかかってきた。

当初は「大阪のボランティア」と、教団名は聞かれなければ伏せていた。「宗教者として行くのが当然だが、相手がどう受け取るか。布教と警戒されるかもしれません」と竹内さん。だが、回を重ねると知れ渡った。金光教は、神前の広前の「結界」で教師が人々の願いなどを「天地金乃神」に「取次ぐ」。