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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

つながり、そして明日へ 10(3/3ページ)

2012年12月20日付 中外日報

同外来の毎月十数人の来訪者は予想に反して多くが中高年という。だが「自分は不安ながらも帰ってきたが、孫も戻してもいいか」(75歳男性)、「補償はあってもこれから生活を支える仕事があるのか」(50代男性)と、家庭の悩みが大多数だ。

社会問題としての事故禍そのものだが、「放射線ゼロリスクを考えたら心配は消えないが、例えば除染したら線量が下がったなどの具体的な事実や、自分で何か対策をすることを提示し、納得できる答えを自ら見つけてもらうのです」と及川副院長は打ち明けた。

だが現実は困難だ。戻った人が避難しなかった人から「何しに帰ってきた」とののしられたり、そんな批判が嫌で戻らない人がいたり。副院長は「未来の子供たちの代にどうなのか、誰にも分からないのが根本的な問題。東電の管理がずさんなのは原発の人から聞いているし、事故は収束したなんて誰も信じていません。2万5千人もの市民が戻れない、こんな事故が起きたのに国も責任回避ばかりだ」と表情を険しくした。

事故後、自らは避難せずにとどまって診療を続け内部被曝した。災害拠点病院なのに救急車もドクターヘリも来ず、薬も底を突いて兵糧攻めに遭った。自宅で寝たきりの患者が餓死した。炉心溶融が始まった3月12日早朝、公民館に集合の緊急指示で取りあえず防寒に毛布をかぶっただけで家を出たまま二度と戻れなかった人もいる。

そんな中で無力感からうつにもなったが、「できる者がやり続けるしかない。ここは被災地なんですから」と語気を強めた。病院のロビーには被曝検査の受付、そして「ここは原発から23キロ」の張り紙があった。

病院を出て浜通りを縦断する国道6号を原発に向かって南下すると、小高地区に入った途端に風景ががらりと変わった。

(北村敏泰)