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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

つながり、そして明日へ 11(2/3ページ)

2012年12月27日付 中外日報

地区にある浄土真宗本願寺派光慶寺では、白江順昭住職(58)がこの日も避難先の仙台から車で2時間近くかけて訪れ、傾き壁が落ちた本堂や庫裡の片付けに一人汗を流していた。解除の4月16日朝5時に駆け付けると、寺は荒れ放題で泥棒が入ったような跡もあった。長い「留守番」をお願いした本尊に読経し、隙間を取りあえず目張りして復旧作業に着手した。

線量計は2台揃えた。ポリタンクで水を地区外から運び込んでは、毎月20日間入る。ばらばらに避難した周辺の230軒の檀家との交流も含め、この1年半に走行距離は4万5千キロに上った。

あの日、激しい揺れで目の前の境内がぱっくり地割れした。津波の直撃で門徒が亡くなった情報も入り、「大変なことになる」と思ったところへ原発事故のニュースが追い打ちをかける。行政から何の情報もなく、2機目の水素爆発が起きた3月14日にはパニックになった住民がクモの子を散らすように逃げた。

同様に戸締まりする間もなく、住職一家が着の身着のままで向かった先も、汚染がひどかった飯舘村。そこでガソリンが切れた車は結局、取りに戻れず廃車になった。「あまりの恐怖で記憶が飛んでいます」。そのうち帰れるかとの期待は、警戒区域設定で消し飛び、自坊が原発から15キロとその時初めて知った。

直前に持ち出した過去帳などを頼りに離散した檀家に連絡を取ろうと、市役所に携帯電話番号を記したメモを掲示し、避難所を回る。仙台からの燃料節約に南相馬に入ったら車中で2泊し、パンをかじって週に5日は通った。

1カ月以上してようやくぽつぽつと居場所が判明し始めた。だが悲惨だった。例えば昔なじみの100歳の門徒男性は避難場所を転々とし、体育館の床に段ボールで寝ていて肺炎を患い、亡くなった。遠く郡山の会館で葬儀を営むと、新聞の訃報を見て知人が弔問に来た。電器商は「よく買い物してもらった」と。

津波犠牲者の供養も続いた。「せめてあの世に往く時くらい」と遺族の避難先から亡きがらを南相馬まで運んで火葬し、葬式する檀家が続く。「亡くなった方が皆さんを会わせてくださっている」。白江住職は、葬儀がつながりと交流の場になっていると実感した。だが寺の墓地への納骨はかなわない。