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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

つながり、そして明日へ 完結(2/5ページ)

2013年1月1日付 中外日報

「見上げればガレキの上にこいのぼり」。宮城・女川第一中の生徒の句は、日本宇宙フォーラムの仲介でNHK国際放送ラジオでも紹介され、世界49カ国から「下の句」が800点も寄せられた。それを佐藤敏郎教諭の指導で生徒たちが「七七」にした。

見上げればガレキの上にこいのぼり

風が吹いたら必ず逢える(中国)

灰色の町 虹色となる(クロアチア)

皆の涙で 希望の芽が出る(ロシア)

心と心が海を越えてつながった。

生徒たちの俳句を国際宇宙ステーションに収納する提案は、震災からまだ2カ月の一昨年5月。佐藤教諭は考え込んだ。学校の前は瓦礫の山、多くの生徒が家族や家をなくして避難所から通う。学用品もなく給食はパン1個だ。

「そんな状況に一体どう向き合わせたらいいのか」。これまで「頑張れ」と言ってきた教師が「頑張らなくていい」と言えるのか。

だが作句への意欲はどのクラスでも同じだった。ダメージで無理なのではと心配した生徒がむしろ積極的だった。3年女生徒は悲惨な状況を「受け入れる」ことはできなくても言葉にし、教諭らは胸を打たれた。

見たことない 女川町を 受けとめる

シャボン玉 大空とんだ あの人たちと

春風が 背中を押して 吹いていく

「互いの句を読んで自分と同じだと共感したり、ああこんな考えもあるんだと発見したりです」。その年11月、翌年5月と変化も見えた。心が落ち着いた様子もあれば、悲しみがより深まった面も。

会いたくて 毎日来るよ 学校に

あの日にね もいちどもどって 助けたい

佐藤教諭が防災教育で重視するのは被災体験を「忘れず、前向きに伝える」ことと、人とのつながりだ。当時、全国からの支援やボランティアに助けられ、生徒たちに感謝の気持ちが膨らんだ。

東京で ガンバレ女川 見つけたよ

あの日から1年後の卒業式で代表の男生徒は答辞で述べた。「暗闇で立ち上がり光を追い掛け始めることができたのは、私たちを応援してくれる人、支えてくれる人、同じ壁にぶつかった仲間がいたおかげです。目の前にある小さな幸せへの感謝が大きな力になり…」

授業で「未来へ言い伝えること」を問い掛けると、生徒からは「全力で命を守る」「揺れたら山へ逃げる」などが返ってくる。教諭の次女みずほさんが亡くなった大川小では、なぜ津波の時に裏山へ避難誘導しなかったのかが問題になった。

多くの幼い犠牲にもかかわらず当時の状況を明らかにしない石巻市教委に対し、佐藤教諭ら保護者は事実解明を強く求め続ける。同じ教育関係者として辛い立場だが、「怖い思いをして命を落とした子供らの辛さに比べれば」と。「大川小の先生方も児童を守りたかったはず。なのになぜ、という教訓を将来に伝えることが大事なのです」

大川小の廃虚に毎日読経に通うのは幼なじみの福井孝幸住職。「ずっと供養し続けます」と言う。犠牲児童のうち4人が檀家の子だ。教諭は「お坊さんが命の重さを語ってくれることがありがたい」と話す。女川第一中へカバンを背負って登校してくる生徒それぞれが「いのち」だ。下校して帰る先は避難所や仮設住宅。「さよなら、じゃなく行ってらっしゃいという気持ちです」

教諭にはその子らの姿に、その命を産んだ、育てた命があり、学校へと送り出してくれた命があることが感じ取れる。「縁起」と仏教で呼ばれるつながりだ。

お母さん 産んでくれて ありがとう

昨年7月、仙台で開かれた「世界防災閣僚会議」で、女生徒2人が学校を代表して意見を発表した。各国大臣を前に「惨事を繰り返さないために、津波到達を伝える石碑を各地に作りたい。これからの子孫のために」と訴えた。

岩手県釜石市尾崎白浜町の浜を見下ろす高台に昨夏、地元の人たちによって津波惨禍の教訓を呼び掛ける石碑が建立された。過疎で100世帯300人の地区は、22戸が流され4人が犠牲に。町会長の本間公人さん(59)らの「後の者たちに何とか気持ちを残そう」という呼び掛けで話が決まった。あれこれ話し合い、本間さんの友人である仙寿院の芝崎惠應住職が碑文をまとめた。

簡潔明瞭、「大地震の後は大津波が必ず来る 迷わず直ぐにより高台に逃げよ 決して戻るな」と。明治三陸津波の慰霊祭の6月15日に除幕した。「人口は減る一方でも孫子の代のいのちを守りたい」と本間さん。芝崎住職は「未来への本当に皆の心のこもったメッセージです」。