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いのち寄り添う ― 大震災 苦の現場から

つながり、そして明日へ 完結(3/5ページ)

2013年1月1日付 中外日報
八重垣神社に植えられた苗木を、藤波宮司は避難先から通って世話する。「みんなの鎮守の森」に成長するのを願って(宮城県山元町で)
「みんなの鎮守の森」に成長するのを願って

神さまは鎮守の森に来られる

宮城県山元町の八重垣神社では、全てが押し流され小さな仮社殿だけが建つ境内を訪れた人が、参拝より前にまず周囲一面に植えられた常緑広葉樹の苗木の様子を見る。「早くおがる(成長する)といいね」。将来の「鎮守の森」にと昨年6月に氏子や町民ら500人で植樹した。藤波祥子宮司(56)は「これが明日への希望です」と話す。

一帯は津波で300戸がほぼ全滅。10日後に宮司が避難先からたどり着くと鳥居も松林も消え、残ったのは倒壊した社殿の銅葺き屋根だけ。周囲では多くの死者が出、遺体捜索のためそれも解体した。宮司は茫然とするしかなかったが、ひと月ほどすると離散した氏子が参りにやって来ては何もない場所で掌を合わせている。散らばった瓦を集めて賽銭を上げる。

宮司が避難所へ氏子を訪ねると、「ショウコちゃん」と以前通り親しげに声を掛けてきた50代の主婦が「お守りはないの?」と尋ねた。「皆さんが求めていると実感しました」。以前、250年前に造営された立派な本殿があったがそれを拝んでいたのではない、先祖代々守ってくれた神様の場を拝んでいたのだと。「神社は地域と共にある心のよりどころです」

氏子と助け合いコンテナの仮社務所も置いて復旧に取り掛かると、「森の防波堤」を提唱している植物生態学者の宮脇昭・横浜国立大名誉教授が、震災復興に瓦礫を埋め立てた上に地元固有の樹種を植えて防潮林にするプランを提示しているのを知り、すぐに「うちでも」と手を挙げた。

「建物より森が先。そこに神様は来られる」と確信していた。根こそぎ倒れ流木となって危険を招く松より本来の植生なので強く、名付けて「みんなの鎮守の森」。植樹祭には多くの支援者も集まった。タブ、シイ、カシなど3300本を汗だくで植え、「これ僕の木!」とつながりもできた。数年で森になり9千年は持つという。

勢いでその年、7月30日の夏祭りも復活させた。「仙南三大祭」に数えられ住民が誇る伝統行事。空き地ばかりの境内には例年以上の露店が出、遠方の避難先の女の子らは浴衣の裾を翻して自転車で駆け付けた。

大事な神輿は倉から200メートル流されていたが役員らの尽力で修復できた。本来なら渡御で練り歩く町内は消滅し、1キロ離れた町民グラウンドの仮設団地まで運んで運動場で担ぐ。氏子に地域住民そして近所で自力復興に奮闘する普門寺に集う全国のボランティアたちもやって来た。「わっしょ、わっしょ」。仮設から出てきた老人らは「ありがてえ」と人目もはばからず泣いた。

冬が訪れても、みんなの森は緑が鮮やかだ。藤波宮司は「育つのが皆さんの楽しみ。私も同じようにこの地で育てていただいた」。状況はまだ見通しが立たない。町は戻らないかもしれない。だが「この絆を大切に、皆で移転する先に遙拝所が造れれば」と夢見る。