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第84回 1、本人が見るあの世 自己選択による心の修行

曹洞宗総合研究センター講師中野東禅

(2012.01.24~2012.02.14)

  • 1、本人が見るあの世 自己選択による心の修行
  • 3、葬祭も選ぶ仏教へ 多様化こそ支持される道
  • 2、瞑想脳と感覚の呼応 「念」活性化で寂静満ちる
  • 4、尊厳死の自己決定 生命ゆがめる過剰医療

昨年の大震災で亡くなった方々のことを思った時、頭をよぎったのは「当人はどんな思いだったろうか」ということだった。これは、ご遺族の悲しみを思うと話題にしてはならないことだろうと思い、心の奥にしまい込んでいた。

しかし、震災の半月後ころに若いお医者さんの投書で、「私の母は看護師として患者のために、最後まで責務を果たして亡くなった。だから私は将来母のもとにいった時、恥ずかしくないように生きようと思う」という文章があった。

津波で亡くなった民生委員は51人である。またスーちゃんこと田中好子さんの最後のメッセージは、震災で亡くなった人のために「天国」で支えになりたい、というものであった。

津波と戦った一瞬、家族や周りの人のためを「思って」亡くなったに違いない、と思い至った時に、これはつらいけど考えてもいいのだと得心できたのだった。

家内が地下鉄の駅で、急性心筋梗塞で倒れて亡くなって以来、当人のその時の思いについて想像が出来ないし、想像したくなくて蓋をしてきたのがこれで楽になった。

「正法眼蔵・四禅比丘(大智度論引用)」の傍訳をしてみて納得に近づいていたものが腹落ちしたのであった。

それは「死後の世界」とは、死の直前に当人が見る「中有」であるという。過去の因果・業を背負って、恐怖心なら地獄を見て地獄に行き、喜びなら天を見て天へ行き、地獄の中有を見て反省したら、その徳で天の中有が現じてそこに行く。悪人が過去の善因で天の中有を見て「俺は罪深いのに天が見えるということは、お釈迦様のいう悪因悪果は嘘なのだ」と疑ったので、たちまち天の中有は消えて地獄に行った、というのである。

それは、死の時も当人の念の方向によって、あの世は変わるという指摘である。仏教はあくまでも本人の自己選択による心・念の人生修行である。