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第85回 1、日本仏教の原点 聖徳太子と聖武天皇の政策

駒澤大学仏教学部教授吉津宜英

(2012.03.27~2012.04.17)

  • 1、日本仏教の原点 聖徳太子と聖武天皇の政策
  • 3、日本仏教の展開 セクト的傾向いまも温存
  • 2、中国仏教の特色 教禅一致が主流を形成
  • 4、<仏教>への要請 宗学と仏教学の対話を

昨年10月、中国西安市陝西師範大学で第1回国際華厳学会が開かれた。私も発表したが、その後で同大学で私は「日本仏教の回顧と現状」という講演を行った。この場を借りて要点を述べたい。

以下の議論では仏教という用語について、早稲田大学小林正美教授の表記に一部準拠する。インドのゴータマ・ブッダ、釈尊の宗教はBuddhismと称する。これに対して中国において儒教に対抗して形成され、道教とともに三教の一翼を占めるものを「仏教」と呼ぶ。

何のカッコも付かない仏教は明治時代に欧米語のBuddhism等の翻訳語、また欧米から将来した「近代仏教学」の中に含まれている用語である。山形カッコ付きの〈仏教〉は私がこれからの日本で諸宗の共通の場としたいと考えるものである。

最初に私は日本の仏教が天皇の仏教として始まったことを述べる。その代表的な人物が聖徳太子である。彼は天皇ではなかったが、推古天皇の摂政として実質上天皇に代わり政治を取り仕切った。「冠位十二階」や「憲法十七条」等が代表的な政策であるが、法隆寺や四天王寺の建立、『三経義疏』の撰述等の仏教的業績は目立つ。

次に聖武天皇が重要である。中国の則天武后の大雲寺制度にならい、国分寺・国分尼寺制度を実施し、総国分寺として東大寺の建立、大仏の造営を発願し、実行した。仏教によって国を治める政策を推進した。これを「国家仏教」と呼ぶ。

遡って、中国では儒教の発想から、仏者といえども国の帝王に敬礼すべきであるとの主張が当初からなされた。特に東晋の将軍桓玄は廬山の慧遠にこの主張をぶつけた。それに対して慧遠は『沙門不敬王者論』を著し、仏教では王者の方こそ仏僧を敬礼するのであり、出家者は王者を敬礼しないとつっぱねた。

この慧遠の議論は尊重すべきものであり、後代まで影響は大きい。しかし一方で北魏の「皇帝即如来」の「仏教」のように、日本にもどこにも類のない「超国家的仏教」も存在したことを付記する必要がある。